ドラマCD「THE FOLLOWER2」感想 Part2

 ドラマCD「THE FOLLOWER2」感想 Part1の続きです。

 

・挫折、未来への扉

一騎「戦うだけじゃ希望になれないって思い知った。
   ただ命を使うだけじゃ、どこにもたどり着けない」
総士「同感だ。僕らには新たな平和を作る術がない。
   世界を導く者たちを、対話の力を守ろう。
   犠牲になったすべての人のためにも」
『EXODUS』21話

 一騎と総士はシュリーナガルから竜宮島に戻る旅で自分たちの持つ力、つまり戦うだけでは問題を解決できないことを知った。つまり二人は一度挫折したということになる。(なのでシュリーナガルから移動し、竜宮島と合流するまでの旅は苦い)その挫折から自分たちの役割は対話の力を守ることだと学んだ。人は挫折から這い上がった時、今までにない視点から物事を見ることができるようになる。一騎と総士はそこから未来への扉を開いた。その挫折から這い上がる過程と結論はこのドラマCDで描かれている。

   一騎「俺には平和は作れない。
      でも、敵と対話できる人たちがいる。
      彼らを守るために俺の命を使いたい」
ミョルニア「そのために多くの犠牲が出るとしても、同じ選択をすると言うのだな。
   一騎「きっとそうすると思う」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

総士「確かに僕には平和を導く力はない。
   かと言って、ただ仲間を守るために戦うだけでは人類軍と変わりません。
   父さんの言う、迷路をさまようだけです」
公蔵「平和を導く力がないと言ったではないか。
   それでも出口にたどり着けると言うのか」
総士「たとえ僕にはたどり着けなくとも、
   それができる者を導き、守ることができる。
   その希望のためなら、自分を犠牲にして構わない」
公蔵「そのために大勢が犠牲になったとしてもか。
   仲間を守るため、自分や敵対するものを倒すのと、
   どう違うと言うのだ」
総士「守るべきは…対話の可能性です。
   それが未来に、迷路の出口に近づくことになる。
   それこそ、シュリーナガルからここまでの旅で得られたものです」
公蔵「島を危機にさらしてでもか。
   これまで何のために戦い、犠牲を払ってきた」
総士「父さん、僕は長い間、あなたのように考えることを課してきた。
   だがもう、そうはしないでしょう。
   ただ閉じこもり、自ら対話の道を拒むと言うなら
   今の僕はその選択を、この島のあり方を否定する」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 一騎と総士だけでなく真矢もまた「自分ができるのは戦うことだけ。でも、戦いで問題を解決することはできず、戦いに未来はない」という結論に達した。

真矢「はい、志願しました。
   私には戦うことしかできないから。
   それ以外の方法があるなら知りたいです」
『EXODUS』5話

真矢「あたしには美羽ちゃんみたいな力もないし、
   お姉ちゃんみたいになれないのもわかってる。
   でも、二人を守るだけじゃなくて、
   せめて二人が教えてくれたことを守りたい」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 一騎、総士、真矢の3人はシュリーナガルから島に戻る旅で挫折を味わい、自分たちの持つ力で対話の力を守るという方向に考えを変えた。そして、どんなことをしてでも対話の力を守る、最終的に竜宮島とその住民を犠牲にしてでも、という考えまで達したが、それは同時に親の世代の考え方である「島に閉じこもり、自分たちだけ平和を享受する」という価値観を否定することになった。子の世代による親の世代の価値観の否定は島のミールから「古き世界から去ること」(※1)という言葉で表現された。織姫は子の世代の選択を受けて、アルタイルと人が対話できる時が来るまで竜宮島とともに海の中で眠りにつかせることにした。その結果、対話の力を守るために住む場所を失うという形で竜宮島の全島民に犠牲を強いることになった。

 

・母の後を継ぐ者

総士「ためらうな一騎、こいつは人ではない。
   人と信じこまされた、怪物だ」 『EXODUS』25話

 総士はミツヒロをこう表現したが、一騎はミツヒロと戦った時、ミツヒロを信じて声を掛けた。

ミツヒロ「消えろ、マカベ」
  一騎「いなくなっても、そいつがいた証拠はどこかに残る。
     そうだろう、翔子、カノン」
ミツヒロ「終わりだ、マカベ」
  一騎「俺はお前を信じる。
     お前の心は今どこにいる、ミツヒロ」
ミツヒロ「俺が…アイを…殺した。
     頼む、マカベ。
     俺を消してくれ」
『EXODUS』26話

 その結果、戦う以外の方法で事態を解決する道を模索した。一騎が敵であるミツヒロの心を信じて戦いの最中であっても、話をした理由はこのドラマCDで明らかにされた。

    騎「確かにずっと二つしか見えていなかった。
      仲間と敵しか。
      でも、こうして島のミールが答えを教えてくれてる。
      ずっと前から知っていたはずの答えを」
ミョルニア「それは何だ」
   一騎「話をすること。
      母さんはそれを望んで敵と一緒になった」
ミョルニア「確かに真壁紅音は自ら同化を望んだ初めての人類だ。
      それが彼女の祝福だった。
      お前もそうすると言うのか。
   一騎「今更母さんと同じことをしても、意味がないのはわかってる。
      俺には平和は作れない。
      でも、敵と対話できる人たちがいる。
      彼らを守るために俺の命を使いたい」
ミョルニア「そのために多くの犠牲が出るとしても、同じ選択をすると言うのだな」
   一騎「きっとそうすると思う。
      でもせめて話すことは諦めないよ。
      たとえ敵でも、いなくなった誰かでも。
      心で話すことができるのが人間だって、教えてくれてるんだろう」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 一騎はフェストゥムと対話することを望んで同化された母、紅音の後を継ぐことを選んだ。そのため、敵であり、戦っていても自分の意志で敵であるミツヒロと対話し続けることをやめなかったのである。

 

・『HEAVEN AND EARTH』、『EXODUS』とモーセ五書

 『旧約聖書』の「出エジプト記」の英語のタイトルが”EXODUS”。『EXODUS』の最終話を見終わった時、「出エジプト記」と重なる要素は26話で島民が島を出る部分のみ。しかし、このドラマCDで未来を選んだのが一騎、総士、真矢、カノンだと知り、やっと「出エジプト記」と『EXODUS』を重ねて考えることができるようになった。

 一騎、総士、真矢は各々置かれた状況、立場は異なるが、島のミールから同じ問いかけをされた。その中で島の未来について具体的に話したのは総士だった。

公蔵「そのために大勢が犠牲になったとしてもか。
   仲間を守るため、自分や敵対するものを倒すのと、
   どう違うと言うのだ。
総士「守るべきは…対話の可能性です。
   それが未来に、迷路の出口に近づくことになる。
   それこそ、シュリーナガルからここまでの旅で得られたものです」
公蔵「島を危機にさらしてでもか。
   これまで何のために戦い、犠牲を払ってきた」
総士「父さん、僕は長い間、あなたのように考えることを課してきた。
   だがもう、そうはしないでしょう。
   ただ閉じこもり、自ら対話の道を拒むと言うなら
   今の僕はその選択を、この島のあり方を否定する」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 総士は島を危機にさらしても、対話の力を守ると言った。この総士の明確な意志を島のミールが汲み、竜宮島がアルタイルを引き取って一緒に眠らせ、島民が島から出ることに繋がった。一方、「出エジプト記」ではモーセは主から召命を受けてイスラエルの民を率い、エジプトを出て、約束の地である乳と蜜の流れる地(カナン)を目指すことになる。

主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
「出エジプト記」3:7-8

 ファフナーで関係のない大勢の人を犠牲にしてでも対話の力を守ることを選んだのは一騎、総士、真矢、カノンの4人だが、島がアルタイルを眠らせるために犠牲になることを選んだ後、織姫の命により島民は島を脱出することになった。なぜならその時、一騎、総士、真矢はすでに竜宮島を去っていた。「出エジプト記」ではモーセが主からの召命によりイスラエルの民は現在置かれているから抜け出すためにエジプトを脱出した。この2つの作品で住んでいるところから脱出するきっかけとなったのは個人の意思と神の召命という違いはあるものの、どちらも神様(※2)が住民に命じて、新天地へ脱出するという点は共通している。

 総士と真矢はメディテーション・トレーニングの海で父の姿を取る島のミールと対話し、一つの選択をした時、海は引いていき、新しい道が生まれた。

真矢「海が…鏡じゃなくなった。
   波が引いていって…海の中に白い砂でできた道が見える。
   まっすぐな道。
   ずっと遠くまで続いている」

総士「なんだ、壁が割れていく。
   海が割れて、光が降り注いでくる。
   海だった場所に道が見える。
   どこまでも続く道が」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 これはモーセが手を上げた時に海が割れ、イスラエルの民が海を渡る場面を思い出させる。

モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。
「出エジプト記」14:21

 総士は海神島でベイグラントを倒した後、同化されていなくなった。一方、モーセは40年間、イスラエルの民とともに荒野を放浪した後、約束の地の目前にたどり着いたが、ヨルダン川を越えてカナンの地へ入ることができずに亡くなった。

そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
「申命記」34:4-5

 モーセの死の場面は海神島で最後に残った敵であるベイグラントを倒し、その地に平和をもたらしたものの、そこで生きることはできなかった総士の姿と重なる。

 モーセは死が目前となった時、自らの後継者として従者、ヌンの子ヨシュアを指名する。

あなたの神、主はみずからあなたに先立って渡り、あなたの前から、これらの国々の民を滅ぼし去って、あなたにこれを獲させられるであろう。また主がかつて言われたように、ヨシュアはあなたを率いて渡るであろう。
「申命記」31:3

 一騎と総士には血の繋がりがないにもかかわらず一騎が総士の後継者になったのと同じく、モーセが後継者に指名したヨシュアとの間に血の繋がりはない。従者ヨシュアは「出エジプト記」から登場している。

そこでモーセは従者ヨシュアと共に立ちあがり、モーセは神の山に登った。
「出エジプト記」24:13

 蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-5「総士の役割」の「去りゆく者、後を継ぐ者」で書いた通り、一騎にとってシュリーナガルから竜宮島へ戻る旅は総士の後継者になるために必要な修行期間だった。島のミールとの調和を得た後の一騎は、もはや総士の命令で動くのではなく、自分で考えて行動するようになり、総士の後を引き継ぐ存在となった。海神島で生きることができなかった総士がモーセだとすれば、海神島でいなくなった総士の役割を引き継ぐ一騎がヨシュアということになるだろう。

 ちなみに『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』の”HEAVEN AND EARTH”という語彙の出自は「創世記」だと思う。

“In the beginning God created the heaven and the earth.”(※3
「創世記」1:1

 『HEAVEN AND EARTH』と『EXODUS』で『旧約聖書』の「創世記」から「申命記」までの内容が終わったと見ていいだろう。つまり、『HEAVEN AND EARTH』と『EXODUS』でモーセ五書(※4)の内容が終わったということである。やはり『EXODUS』で一つの時代が終わり、同時に新たな時代は始まったことを意味していると思う。

 しかし、ファフナーには『旧約聖書』のセム的一神教の雰囲気がほとんど感じられない。

 


 以下、ドラマCDを聞いていた時の感想。

・「かつて」の意味するところ

総士「竜宮島、戦乱で日本が消滅した後、
   平和という文化を残すために作られた、人工の島。
   僕のかつての居場所だ」
『EXODUS』1話

 『EXODUS』1話を見た時、「かつて」という言葉から、最後に「総士は竜宮島を去る」もしくは「竜宮島が失われた」を想像していた。この言葉を残したのは『EXODUS』25話Aパートラスト。場所は竜宮島の格納庫で、総士は島を出るという話は出てきていない。ではなぜ「かつて」なのか?

 作中で明確な回答を見出すことができず、蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-18「総士-竜宮島を去る者」で以下のように考えた。

 織姫から「もうひとつの島に新しいミールが根付く時、あなたとあなたの器が生まれ変わる」と言われ、海神島が最終決戦の地となったことから、総士自身には生まれ故郷の竜宮島を立ち去ったという認識があるのだと思う。(中略)『EXODUS』では一期のメンバーが大人になるということを描いていたが、総士が大人になるということは、一騎とともに故郷を去り、新しいコミュニティを率いる者になることだった。しかし、総士は与えられた役割を最後まで果たす前に命が尽きたため、自身が率いる者になることはできず、その役割を自らの子どもに託した。

 その結果、総士は自らの意志で島を去ったと結論づけた。

 『EXODUS』1話を見た時に「総士は竜宮島を去る」だけでなく「竜宮島が失われた」とも予想したわけだけど、ドラマCDを聞くとそれもあながち間違いではなかった。なぜなら『EXODUS』でたとえ竜宮島を失ってでも対話し続けることを選んだのは一騎、総士、真矢、カノンだったからだ。総士はこう断言している。

総士「ただ閉じこもり、自ら対話の道を拒むと言うなら
   今の僕はその選択を、この島のあり方を否定する」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 実のところ、織姫は一騎、総士、真矢、カノンの選択を受けて、具体的な行動をしたにすぎない。島民に竜宮島から去ること命じ、自らはアルタイルを受け入れた後、眠らせるために竜宮島を海に沈めた。

 

・総士の後を追う者

   一騎「この道を戻ったらどうなるんだ」
ミョルニア「眠りながら命を終えるだろう。
      お前の存在の記憶は我々とともに残る。
      かつてこの島に生きた者たちのように」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 一騎が目覚めなかった時の末路は考えていた通りだった。アビエイターとの戦いで一騎の人としての寿命は尽きているので、眠ったままだとしても近いうちにいなくなる。

   一騎「この道の先に何があるんだ」
ミョルニア「進めばお前は目覚めるだろう。
      その場合、お前の精神と肉体は近いうちに無へ還ることになる」
   一騎「総士みたいにフェストゥムの世界に行くのか」
ミョルニア「そうだ。再び存在の調和を得るかは、未知数だ」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 総士と同じように同化されるまで戦うという道もあったのか。一騎がザインに乗り続けて同化された後は一期ラストの総士と同じ状態になる。

ミョルニア「いや、今お前と対話をしているのは別の可能性が残されているからだ」
   一騎「別の?」
ミョルニア「我々との調和の道だ」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 島のミールは総士が竜宮島に帰ってきたことによって、フェストゥムとの調和で人が存在し続けることを学んだ。その結果、『EXODUS』24話で戻ってきた一騎は一期ラスト~『HEAVEN AND EARTH』での総士と同じ体験をしたことになり、いわば総士の後を追うという形になっている。一騎と総士の関係について、蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-7「人とフェストゥム」で以下のように分析した。

一騎と総士
 一騎はずっと総士を追いかけ、同じ位置に立とうとしていた。

一騎と総士が同じところに到達するのに必要なのは次の通りである。

一騎と総士
 一騎が世界を祝福する。

 一騎は島のミールから「いつか世界を祝福する」という契約条件を受け入れて島のミールとの調和を得たが、一騎が世界を祝福した時、一騎は総士が同じ位置に到達して、この構図通りとなる。そして、一騎と総士は完全な環を描く状態になった時、「一騎と総士の物語」は完全に終わるのだと思う。

 

・父との決別

 ヘスターは真矢がミツヒロの後継者となることを望み、そのために真矢に新国連側の機密をすべて見せた。その上で真矢が出した答えについて蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-12「真矢と一騎-父の遺産」で以下のように考えた。

真矢は父やヘスターと自身が同じ考えを持つ人間であることは肯定したものの、父の遺産を受け取ることを拒否し、父の後を継がないという道を選んだ。

 真矢はドラマCDで父と違う道を選ぶと言った上で、父に別れを告げる。

真矢「お父さんと同じ道を選んだりしない。
   できるかわからないけど。
   あたしが選んだ道を進みたい。
   さようなら、お父さん」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 私がたどり着いた答えそのものを真矢が言葉にしてくれたので、この台詞を聞いた時はすっきりとした気持ちになった。

 

・若者が旅立つ時

 『EXODUS』25話Bパート冒頭の成人式のシーンを見た直後、「未来へ向かって進もう!」という一期のメンバーの前向きな気持ちが伝わってきたのだか、その理由がわからなかった。その答えはドラマCDの中にあった。

公蔵「彼らが旅立つ時、我々も変化を迎える」 ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 あのシーンには「(若者が)旅立つ」という前向きな気持ちが込められていて、それが映像を通して伝わってきたということだった。正直、『EXODUS』の終盤は尺不足による説明不足が目立ち、一見してすぐわかる作りにはなっていない。しかし、制作スタッフが作品の方向性を正確に理解していたので、言葉では表現していない感情まで伝わってきたということである。

 

 個人的にドラマCDを聞いた後の感想は「作品を理解するのに必要なものはアニメの中ですべて描かれていた」の一言に尽きます。死の近い指導者(総士)とその後継者(一騎)、命を掛けてヘスターと対峙する真矢の行動は祝福。少なくともこの二つの要素はアニメでわかるように描かれていて、見出すことができた。ただし、物語と設定をひねりすぎていたため、一見しただけでは作品の中に答えがないと思われる内容が多かったのも事実。『EXODUS』の最終回放送から4ヶ月が過ぎ、作品の中で解決された内容と未解決で先に持ち越した内容とを切り分けたあとなので、最初にドラマCDを聞いた時はテストの答え合わせしているような感じでした。現在書いている途中の記事の内容を大きく変更することはなく、場合によってはドラマCDで新たに出てきた要素について追記するだけ。私は作品を信じて、作品の中に絶対に答えがあるはずだと考えて作品と向き合ったのですが、このドラマCDでその考えは正しかったことが証明されました。

 

注:「出エジプト記」と「申命記」からの引用はすべて口語訳聖書(1955年、日本聖書協会)を使用しました。テキストはhttp://bible.salterrae.net/kougo/html/を参照しました。

※1 ドラマCD『THE FOLLOWER2』の公蔵の台詞「古き世界から去ることを決めた」。

※2 『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』で島のコアについて以下のような描写がある。

島の中枢で眠る、まだ幼い、島民にとっての小さな神様のことだと思った。

※3 『旧約聖書』の「創世記」の欽定訳聖書(King James Version)から引用。
https://www.kingjamesbibleonline.org/Genesis-Chapter-1/

※4 モーセ五書とは『旧約聖書』の最初の5つの書である「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」のこと。

 

P.S. 「THE FOLLOWER2」の感想を公開した後、これを書いていたのですが、内容的に続きだということに気がついたので、公開後にPart1という文字を追加しました。ちなみにPart2はPart1の1.5倍以上の分量があります。

 私が持っている聖書は文語訳のみで、新共同訳が手元にないため、「出エジプト記」と「申命記」はネットで公開されている口語訳聖書から引用しました。

 

 ドラマCDを聞いた後、『EXODUS』25話の成人式のシーンの後で見えた明るいイメージは、過去にどこかで見たことがあると思った。それが何なのかずっと考えていたけれど、やっと思い出した。Neil Peartの『Traveling Music: The Soundtrack To My Life And Times』の「Chorus Three」のラストだった。ニールはミュージシャンになろうとロンドンに行ったものの、望みはかなわず帰国。それから1年半後、アメリカのレコード会社との契約を持つバンドのオーディションに参加して合格。この章はバンドともにツアーに旅立つ場面で終わる。

In any case, on August 14, 1974, Geddy, Alex and I flew from Toronto to Pittburgh for that first show together, and so began all that.
(いずれにせよ、1974年8月14日、ゲディ、アレックスと私は最初のショーのために一緒に飛行機でトロントからピッツバーグへ向かった。そして、これがすべての始まりだった)

 わずか1ヶ月でツアー生活にうんざりというオチを知っているにもかかわらず、この場面はニールがツアーに出る前に感じた感情、すなわち未来への希望を胸に抱きつつ旅立つ若者の気持ちがストレートに表現されていると思う。

 


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