史彦「なぜ一騎と総士君なのだ」
織姫「二つで一つの力だから」
『EXODUS』6話
『EXODUS』は島のミールがザインとニヒト、そして一騎と総士を二つで一つの力にする物語だったが、その意図は何だったのだろうか。
・北欧神話と竜宮島
この物語の竜宮島とフェストゥムの固有名詞の多くが北欧神話とそれを元にしたワーグナーの楽劇『ニーベルンクの指環』から採られている。フェストゥムと人の間をさまよい、人として存在するために左目を傷つけられて視力を失い、その結果、ファフナーに乗れなくなった総士は、知恵を得るために片目を差し出した北欧神話のオーディンを想起させる。オーディンが片目を失った理由は次のように語られている。
この泉の持主はミーミルという。彼は知恵の固まりだが、それは、彼が泉の水をギャラルホルンという角杯で飲んだからなのだ。そこへ万物の父がやってきて、泉から一口飲ましてくれ、といった。そして、自分の眼を抵当にしてやっと飲ましてもらった。
「ギュルヴィたぶらかし」
そのオーディンもやがて訪れるラグナレク(神々の黄昏)で死を迎える。
オーディン
「わたしは方々を旅し、いろいろとこころみ、神々をいろいろとためしてきた。神々が滅びるとき、オーディンに最後をもたらすものは誰か」
ヴァフズルーズニル
「狼が万物の父(アルダフェズル)をのみこみ、ヴィーザルがその復讐をとげるだろう。狼の怖ろしい顎を彼が戦で引き裂くだろう」
「ヴァフズルーズニルの歌」
オーディンを飲み込んで、死に至らしめる狼はフェンリルと呼ばれている。オーディンの死後、ラグナレクは以下のような結末を迎える。
スルトは大地の上に火を投げて全世界を焼き尽くす。
「ギュルヴィたぶらかし」
『EXODUS』では総士がいなくなる直前、竜宮島はアルタイルとともに海中へ沈んだ。つまり北欧神話と同じく、竜宮島にもラグナレクが訪れたということである。竜宮島ではプラン・デルタが実行され、島民は全員、海神島へ避難することになった。史彦は島を去る時にこう言った。
史彦「全島民に告ぐ。
これは滅びではない。
新たな希望である。
我々は必ずや、故郷へ帰る」
『EXODUS』26話
北欧神話では「火」によって世界が炎上して終焉を迎えたが、『EXODUS』において、竜宮島に終わりをもたらすものは「水」だった。それは偶然にもラグナレクの後に訪れる世界と繋がってる。
「神々のだれかが生き残るのですか。大地と天はいくらか残るのですか」
「海中から緑の美しい大地が浮かび上がり、そこには種もまかぬのに穀物が育つ。ヴィーザルとヴァーリは生き残る。スルトの焔も彼らを傷つけるにはいたらなかったのだ」
「ギュルヴィたぶらかし」
ラグナレクを生き残ったヴィーザルとはオーディンの息子である。総士は単為生殖する存在となり、自らが転生するという形で子どもを残した。
・直角の先
一騎と総士はバラけても交わる角度はだいたい90度と自分の中では決めてる。通路とかだと条件付きになってしまうけど、やはり私的に直角が良い。EDの一騎と総士、9話のザインとニヒトのお話(※1)
能戸隆
『EXODUS』1クール目のエンディング、海岸に残る一騎と総士の足跡は90度になっている。
『EXODUS』9話のラスト、アザゼル型ロードランナーに攻撃をするザインとニヒト。別の場所で戦った後、海上で合流し、90度で別れ、90度で合流している。
直線が90度で交わり、互いに通り抜けた時にできる図形は十字である。アザゼル型ロードランナーに向かう時、ザインとニヒトは共に両手を広げた十字の形をしている。
これは何を意味しているのだろうか?
・二つで一つの力
おお人よ、お前の大きな罪を嘆くがよい。
それゆえキリストは父のふところを
出て、地上へ下ったのだ。
清くやさしいひとりの乙女から、
彼は私たちのためにお生まれになった。
彼は人と神の仲立ちをしようとされ、
死者たちに命を与え、
すべての病を除かれた。
しかし、時は押し迫り、
彼は私たちのためにいけにえとして捧げられ、
私たちの罪の、重い荷を背負われた。
十字架につけられて、長いこと。
バッハ『マタイ受難曲』第29曲 コラール(※2)
バッハ『マタイ受難曲』の第1部を締めくくるコラールの歌詞を見た時、『EXODUS』における一騎の行動はキリストの生涯をなぞっていたことに気がついた。それ故、『EXODUS』9話で一騎が人類軍兵士の同化を肩代わりした時には人類軍から奇跡と言われ(※3)、ザインのフェストゥムに対する攻撃は神々しく描かれた。
一期で一騎が人類軍の捕虜になった時に採取したサンプルを元に人類軍は「マカベ因子」を作り、素質の足りない者もファフナーに乗って戦えるようにした。一騎はそのことに罪悪感を感じているが、総士が言っているようにそれは一騎の責任ではない。(※4)罪を負うべきは一騎のサンプルを元に「マカベ因子」を作り出し、兵士に投与した人類軍である。一騎はシュリーナガルでフェストゥムに同化された者の同化を肩代わりしたが、それは一騎が「マカベ因子」を作って兵士に投与した新国連と人類軍の罪を背負ったことを意味している。
その後、アショーカとシュリーナガルの住民を守るために一騎はファフナーに乗り続けた。竜宮島と合流する時の戦いで、ザインはアビエイターのコアを同化したが、そこで一騎の人としての命は限界は達した。しかし、それでもなお一騎は生きることを望んだ。そのため、島のミールが世界を祝福することと引き換えに、一騎に生と死の循環を超える命を与えた。一騎はまさに「われ三日の後に甦へらん」(※5)と人々に予言し、三日後に甦ったキリストそのものである。竜宮島回覧板 EXODUS第1号に「真壁一騎『世界の戦士の象徴』へ」と書いてあるが、島のミールの祝福を受けた一騎は人類軍の宣伝通りの存在、すなわち人類の英雄になったのである。
『EXODUS』9話でアザゼル型ロードランナーに向かう時、ニヒトも両手を広げた十字の形をしていたのはなぜか。それは一騎と総士の二人で分割してキリストの生涯をなぞるという形になっているからだ。ベイグラントのコアを破壊したニヒトはアショーカの根元で力尽きた。空高く伸びるアショーカは十字ではないが磔台に見える。そう、十字架にかけられたのはニヒトだった。
ニヒトは人類軍での最終テスト時にイドゥンに奪われた。人が作ったファフナーであるにも関わらず、イドゥンの後もフェストゥムである操が乗り、フェストゥムに使役された機体だった。そのため、総士が乗る時には同化された人の思念に満ちあふれていた。(※6)今後もニヒトを使うためには、ニヒトに同化された人の思念を贖う必要がある。そのためにニヒトは十字架にかけられ、自らの罪を贖うことになった。しかし、ニヒトのコアとそのパイロットはキリストと同じく、転生するという形でその命は引き継がれて生き残った。
総士は同化され、ニヒトのコックピットでいなくなった。北欧神話と竜宮島で書いたようにオーディンと重ねて描写された総士がいなくなったということは、神話の時代の終焉ーすなわちフェストゥムと人との関係において一つの時代の終わりを象徴をしていた。しかし、ニヒトが十字架にかけられたことにより、そのコックピットで転生した総士はキリストと重なる。
それでは、なぜ総士は転生する存在となり、赤子として産まれたのだろうか?
・父と子と…
「あたし、いつでも会ってます。乙姫ちゃんと」
「――コアと?」
島の中枢で眠る、まだ幼い、島民にとっての小さな神様のことだと思った。
『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』(※9)
総士「お前にとって僕は神様か」
一騎「似たようなもんかな」
『NOW HERE』
島民から神様と言われている乙姫と一騎が神様と呼んだ総士の皆城兄妹は、フェストゥムが地球上の生物の生と死を学んだ結果、その魂が転生し続けるという形でフェストゥムの永遠を体現することになった。その一方で芹には同化の力を使って機体と自分を再生させるSDP(※7)が発現し、人としての寿命の尽きた一騎には島のミールが生と死の循環を超える命を与えた。つまり人がフェストゥムの持つ永遠を持つことになった。その結果、この4人の魂はこの世に永遠に存在し続けることになったが、元は同級生だった芹と乙姫(織姫)、一騎と総士という2組の友人関係は恋愛という形にはならず、親子という形で昇華された。
なぜ、人とフェストゥムが親子という形になったのだろうか。
三位一体
キリスト教の根本教義の一つで三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり、唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。
『大辞林』(三省堂)
ここで言う三位とは「父」と「子(キリスト)」と「精霊」を意味している。一期から総士がフェストゥムを、一騎が人を象徴しており、この二人の関係を通してフェストゥムと人の関係を描いてきた。人とフェストゥムが融合した存在となった乙姫(島のミールのコア)は人とフェストゥムの共存を望んでいた。竜宮島のミールが乙姫の望みを理解し、それを実現するため、一騎にはフェストゥムの持つ永遠を与えた。その結果、「父」が一騎、「子」が総士、「精霊」が竜宮島のミールという形になり、この三者で三位一体が完成したということになる。人とフェストゥムの共存を願った竜宮島のミールが、世界の戦士の象徴=人を象徴する一騎とフェストゥムの側へ行き永遠に痛みを教える存在=フェストゥムを象徴する総士とともに三位一体という形で一つの存在となったことで、人とフェストゥムの間で和解が成立したことを表しているのだろう。しかし、和解が成立したからといって、両者の争いがなくなるわけではない。現時点で人に対して友好的なフェストゥムはボレアリオス・ミールの群れとフェストゥムの森にいた個体くらい。北極に近いフェストゥムは今でも人を憎んでいるし、ベイグラントのコアの少年は島のミールが一騎に与えた祝福を消そうとした。そのため、一騎と総士は今後も必要とあらば、ザインとニヒトの力を使うことになるのだろう。
わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。
視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』(※8)
竜宮島も同様に「父」が芹、「子」が竜宮島のコア(織姫)、精霊が竜宮島のミールとなり、竜宮島でも人とフェストゥムの間で和平が成立し、共存が実現したことを表している。
・古き世界の神の死、新しき世界の神の誕生
『EXODUS』において、総士は古い時代を象徴するオーディンとしていなくなり、新しい時代の到来を象徴するキリストとして生まれ変わったということになるが、それは何を意味しているのだろう。
『EXODUS』で新しく出てきた固有名詞とその出自を見てみよう。
フェイト・フィア、フラガ・ラッハ、ディア・ファル(ケルト神話)
アマテラス、スサノオ、ツクヨミ(日本神話)
ゴルディアス結晶(フリギアの伝説)
スレイプニール・システム、エインヘリヤル・モデル(北欧神話)
すべてキリスト教が誕生する前の伝説と各地の神話から採られている。
ヨーロッパの歴史を見ていくと、キリスト教が広まるに従い、旧来の信仰や土着の神の多くは忘れ去られた。辛うじて残ったものも悪や死といったネガティブな要素を象徴するものへと変化してしまった。しかし、この作品においてはオーディンに象徴される古い時代の神は、転生という仏教の価値観を持ち込むことにより、キリストという新しい時代の神に生まれ変わった。それは古い時代の価値観を捨てることなく礎にして、新しい時代を築いていくということを意味しているのだろう。ちなみに『EXODUS』で新しく出てきた新国連と人類軍の固有名詞は一部を除いてギリシア神話と旧約聖書に由来する単語を使っているが(※9)、遠からずヘスターの時代も終わり来るということを示唆しているのかもしれない。それ故、ヘスターは自らの後継者として、ミツヒロの娘であり、若い頃の自分と同じ価値観を持つ真矢を欲した。
織姫は「みんな、未来を探してる。滅びではない、未来を」(※10)と言っていたが、それは皮肉なことにフェストゥムのみならず、人類もまた同じ状態だったということになる。
P.S. これでいろいろ腑に落ちた。なるほど、これなら「一騎と総士の物語」も「竜宮島の物語」も行き着く先までたどり着いている。冲方丁は「総士を完結させれば、一騎の大分描ききれる」(※11)と言っていたが、『EXODUS』で総士は描ききったものの、一騎は最後まで描ききれなかったということになる。つまり足りないのは竜宮島へ戻る後日談ということになる。
「ヴァフズルーズニルの歌」と「ギュルヴィたぶらかし」は谷口幸男訳『エッダ-古代北欧歌謡集』(新潮社)から、「マタイ傳福音書」は『新約聖書(文語訳)』(日本聖書協会)からそれぞれ引用しました。
※1 能戸総監督のツイートより引用。
https://twitter.com/TakashiNoto/status/585298579360612353
※3 『EXODUS』9話でウォルターとナレインが奇跡という言葉を使っている。
ウォルター「半数が生存、死亡した者も同化されていない。
皆、返ってきた。
どういう奇跡なんだ、これは」
ナレイン「奇跡の力か」
※4 『EXODUS』3話、総士は一騎に「お前の責任じゃない。立場が違えば、僕らが誰かの因子を使って戦っていた」と言っている。
※6 『EXODUS』7話、ニヒト起動時に総士は「同化された人間の思念、これほどか」と言っている。
※7 『蒼穹のファフナー EXODUS』DVD/BD7巻の解説より引用。
※9 一期の新国連軍側の固有名詞には『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に由来する単語が使われているが、『RIGHT OF LEFT』以降はギリシア神話と旧約聖書からの用語を使用するというルールが徹底されている。
※11 『アニメージュ』2015年3月号掲載の冲方丁インタビューから引用。
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