【蒼穹のファフナー EXODUS】人とフェストゥムの共生 Part2ー補足

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 【蒼穹のファフナー EXODUS】人とフェストゥムの共生を書く時に参照した資料。

 

 【蒼穹のファフナー EXODUS】人とフェストゥムの共生を書いたことにより、ようやく『EXODUS』放送終了後から探していた答えにたどり着いた。その結果、『EXODUS』のテーマが明確になり、作品の見通しがよくなり、これまでとは違う視点からシリーズ全体を眺めることができるようになった。

 

・総士という存在

 総士は一度はフェストゥムに同化されたものの、無の中で存在を取り戻して(※1)、この世界に戻ってきた。DVD/BDのリーフレットには「人の心とフェストゥムの体の融合体」(※2)、公式サイトでは「島のコアに近い存在」(※3)と説明されている。

千鶴「ミールが命の循環を理解した」
 芹「乙姫ちゃんなの?」
千鶴「いいえ、本人が再生されるわけではないわ。
   それでは同じものをコピーすることになり、生命の本質から外れてしまう」
里奈「乙姫ちゃんだった存在が新しく生まれ変わった」
一期26話

 乙姫は自らの生きる姿を通して島のミールに教えた。その結果、島のミールは生命の循環を理解し、乙姫が同化された後 、その魂は新しい命生まれ変わった。しかし、島のミールとは異なり、北極ミールは生物の生と死を理解していないために、総士という存在を作り直してしまった。だからこそ、総士は妹の乙姫と同じく自らの生きる姿を通して、北極ミールから生まれたすべてのフェストゥムに対して生物の生と死を教える必要があった。

  総士「僕は人間として生き、命を終える。
     それもそう長くない」
『EXODUS』14話

ナレイン「君なら永遠の戦士になれるだろう。
     我々のミールの祝福を受ける気はないかね。
     命の果てを越えて生きるために」
     (中略)
  総士「人として生きることが僕らの意思です。
     島のコアが生と死をミールに教えたように」
ナレイン「承知している。
     また、君たちを守ろうとする意思もまた存在するのだよ」
『EXODUS』18話

 このナレインの言葉から北極ミールは生物の生と死を理解しておらず、逆に自らの持つ永遠を人間に与えようとしていることがよくわかる。

  総士「まだ命は消えないそうだ」
  織姫「消えた後もきっとあなたの命は続く」
  総士「それは…ミールによる死と再生か」
『EXODUS』22話

 北極ミールから生まれたフェストゥムが生と死を学んだ後、それを教えた総士に返した答えは島のミールと同じく、命の循環だった。それ故、総士は妹の乙姫と同じく、死と再生を繰り返す存在になった。

 

 兄妹として産まれた総士と乙姫だが、最終的にその肉体の出自は別々になってしまった。皆城鞘は瀬戸内海ミールに同化されていなくなったが、彼女のお腹にいた乙姫の命は残った。乙姫は人と瀬戸内海ミールが融合した存在だったが、その娘である織姫は小さい時に北極ミールから生まれたミョルニアが命を支えたため、瀬戸内海ミールと北極ミールが混じった存在となった。一方、総士は瀬戸内海ミールの因子を移植されて産まれたが(※4)、北極ミールに同化されてその肉体を失った。その後、総士は無の中で肉体を取り戻したが、その体は北極ミールの欠片から生まれたボレアリオス・ミールに由来するものだった。

 総士は北極ミールに同化されたが、その中で肉体を取り戻したことにより、北極ミールと繋がる存在となった。その結果、総士は島のコアとなった乙姫と同じく、砕け散った北極ミールのコアと言ってもいい存在なのかもしれない。となると、公式サイトに書いてある「島のコアに近い存在」が割とネタバレに近い説明文だと感じる。

 

・180度→90度→平行

 『RIGHT OF LEFT』で一騎と総士は学校の廊下ですれ違っているが、交わっていない。



 『EXODUS』で能戸総監督は一騎と総士が交わる角度は90度にこだわっていた。

 『EXODUS』26話ラスト、砂浜に残る一騎とこそうしの足跡は平行線になっていた。

 冲方丁のこの言葉を思い出した。

冲方丁「一騎と総士の関係が、上手くフェストゥムと人類の関係になっています」(※5

 二者が向き合って出会う時、お互いの存在を認識はするが、交わることなくそのまま通り過ぎることもある。人とフェストゥムの関係はこの状態からスタートした。その後、皆城鞘が瀬戸内海ミールに、真壁紅音が北極ミールに同化された時、人とフェストゥムの間で対話が始まった。二者が90度で出会う時は必ず交わるので、この状態を表しているのだろう。『EXODUS』26話ラスト、一騎とそうしの足跡は平行線になっていたが、それは人とフェストゥムが互いに理解し、高さは違えど、同じ視線で物事を見ることができるようになったということを表しているのだと思う。

 

・相互理解、そして和解

 真壁紅音が北極ミールを祝福し、真壁一騎が総士に傷を与えた結果、フェストゥムが個を獲得したところから物語は始まっている。一期はフェストゥムが人という存在に近づくことで、人を理解しようとした物語だった。それ故、マスター型のイドゥン、ミョルニアといった存在がいた。その延長上にある『HEAVEN AND EARTH』では、スフィンクス型のフェストゥムにもかかわらず、「空がきれいだ」という感情を持つ来主操が生まれた。『EXODUS』の竜宮島のパートではファフナー・パイロットがSDPを発症し、フェストゥムの力を得た。つまり『EXODUS』では逆に人がフェストゥムに近づくことで、フェストゥムを理解しようとする物語だった。カノンが引き寄せた未来により、SDPの発症原因が解明されたが、人がフェストゥムを理解し始めたことを表していた。人とフェストゥムの間の相互理解と和解は最終的に一騎と総士を通して描かれた。

 『EXODUS』24話で一騎は島の祝福を受け入れた結果、フェストゥムの持つ永遠を得たが、それは人がフェストゥムを理解したということを意味している。それと同様に『EXODUS』26話で北極ミールとつながっている総士が、地球上の生物の持つ循環する命を得たことは、フェストゥムが人を理解したということを意味している。つまり、人とフェストゥムの間で「有限の命」と「永遠に存在する」という互いの価値観を交換した存在が生まれたことが、互いを理解した上で和解したことの証なのだろう。

 

・ミールとは?

 一期を見ると、島のミールとコアの関係、ミールとフェストゥムの関係について、製作者側もわかりやすく説明できる言葉を持っていなかったのだと思う。自分が一期放映時に書いたものを読み返したけど、正直、ミールについては理解できていない。『HEAVEN AND EARTH』では島のコアはまだ赤子で不在同然、ボレアリオス・ミールのコアは生まれるのを拒否して不在という状態を経由したことで、製作者側もミールとそのコアの関係を理解したのだと思う。

 乙姫は島のミールが人と話し合い、触れ合うための存在だった。一期22話の史彦と乙姫が話す場面を見ると乙姫の立ち位置がよくわかる。一方、織姫は島の住民が願いから生まれた存在なので、乙姫よりも島の住民に寄り添った存在だった。それは島のミール自身がかつて島にいた人の記憶を使って、直接島の住民に接触するようになったからである。

 ミールとフェストゥムの関係は『HEAVEN AND EARTH』時の「俺の存在は君たちで言う指みたいなものだよ」という操の台詞がすべてだと思う。

 

・真矢の立ち位置

 一期が一騎が総士を理解する物語だったが、『EXODUS』は一騎が真矢を理解する物語だった。一騎が相手の気持ちを理解した時、どちらかがいなくなる。一期では総士がいなくなり、『EXODUS』では一騎がいなくなった。

 

 『EXODUS』で真矢はもはや一騎のヒロインではなく(一騎のヒロインは一期の翔子と同じく一騎の不在時に島を守るというポジションにいるカノンだった)、真矢自身が主人公となって物語を紡いでいった。『EXODUS』における真矢の人間関係は一騎←真矢←総士、暉という構図だったが、物語の主人公の課せられる運命は過酷で、最終的に全員いなくなった。

 

 一騎と真矢の関係は『EXODUS』19話~21話よりも一期の真矢の初陣~総士がイドゥンに奪われる前(一騎と真矢の関係が描かれたのは一期19話~21話!)の方が互いに恋心があったと思う。しかし、イドゥンが総士を連れ去った後、一騎は真矢か総士のどちらかを選ぶ必要に迫られ、総士を選んだ。つまり真矢との関係は14歳の時に完全に終わっていたのだと思う。

一騎「父さんだって、母さんを失った時は同じ気持ちだったんだろ。
   でも、父さんには敵を倒す力がなかった。
   俺にはある、ファフナーがある」
ドラマCD『GONE/ARRIVE』

 この言葉が一騎の出した答えだと思う。現在は廃盤で入手困難なドラマCDの中の台詞というのが難。この物語の開始時から一騎をつき動かすのは総士という存在だった。物語の開始早々、一騎は総士から「行けるのなら、僕がいくさ。でも…」(※6)と言われてファフナーに乗った。その後、狩谷先生と島を出ていったが、その理由は「あいつが、島の外で見たものを、俺も見たかったんだ」(※7)、『HEAVEN AND EARTH』でザインに乗った理由は「俺がやる、お前が望むなら」、『EXODUS』で織姫から「美羽を守りに行きなさい」と命じられた時は「お前が行くなら、俺も行く」(※8)。悲しいかな、真矢はその一騎の行動を止める力がない。そのため、真矢はいつも一騎を動かす力となっている総士に「なんで、一騎君を止めなかったの」(※9)と自分の気持ちをぶつけてしまった。

 一期、一騎が狩谷先生と島を出ていった後、迎えに行ったのは真矢だったが、一騎が真っ先に会いたい人は総士だった。(※10)『EXODUS』では真矢が新国連の捕虜となったが、迎えに行ったのは一騎ではなく総士だった。実は一騎と真矢のベクトルは肝心なところでずれていた。


 

 『EXODUS』において最終的に一騎と総士の時間はずれ、親と子になって物語は終わった。
 なぜ総士は島のコアである妹の乙姫と同じく転生する存在となったのか?

 『EXODUS』の放映終了後、この答えを求めてずっと文章を書いてきた。

 

・三位一体

 この言葉を見つけたのはの以下の文章を書いた直後だった。

 ワーグナーの歌劇『ローエングリン』をエルザの視点から見ていくと、巫女たるエルザ(人)がローエングリン(神)を人の世界に呼び、その後、人と神が一緒に生きようとした物語だ。しかし、人の世界と神の世界の理は異なり、エルザの望みがかなうことなく、神はもといた世界へ帰っていってしまった。一方『蒼穹のファフナー』では逆に竜宮島のミールが人である一騎と芹に、人として生まれながらフェストゥムに近い存在である皆城兄妹が持つ永遠を与えることで、『ローエングリン』ではかなわなかった人と神が一緒に生きることを実現させた物語なのかもしれない。

 これについて考えている時、『ローエングリン』の「第1幕への前奏曲」と「はるかな国に」を聞いていたことが大きく影響している。作曲者のワーグナーは「第1幕への前奏曲」を天使の群れが運んできた聖杯が天から降りてくる様子を描写した音楽と説明していた。「はるかな国に」はローエングリンが自分の名前を名乗るアリア。「三位一体」という言葉にたどり着くヒントになったのはこのアリアの「私の父はパルツィファール(mein Vater Parzival)」という部分。

 この時。すでに夜遅く、時間がなかったので、以下のメモを残した。

 ミール、皆城兄妹、一騎と芹の三者は『EXODUS』において、最終的にキリスト教の三位一体を体現した存在になったのだと思う。

 このあと、部屋から資料を引っ張り出して、バラバラになっていたジグソーパズルのように組み上げていった。イエス・キリストと重なる『EXODUS』9話のザインと一騎。火と水という違いがあるにもかかわらず、同じような印象を受けた北欧神話のラグナロクと海に沈む竜宮島。テレビ放映時からの疑問点が次々に解決していく様は面白かった。

 

※1 『HEAVEN AND EARTH』で一騎の「総士はどこにいるんだ」という問いに対して、操は「無の中。存在を取り戻せるといいね」と言っている。

※2 『蒼穹のファフナー EXODUS』BD/DVD 2巻リーフレットに掲載。

※3 『蒼穹のファフナー EXODUS』公式サイト内、SPECIAL/CHRONOGY/皆城総士の項を参照。

※4 『蒼穹のファフナー』DVD4巻リーフレット参照。

※5 『蒼穹のファフナー Blu-ray BOX』付属のブックレットに掲載された「冲方丁×プロデューサー座談会」より引用。

※6 一期1話。

※7 一期15話。

※8 織姫、一騎の台詞はともに『EXODUS』6話から引用。

※9 『EXODUS』20話

※10 一期15話、真矢の顔を見た一騎は「ありがとう、総士は?」と言っている。真っ先に呼んだ名は真矢ではなく総士だった。

 

P.S. これで作品の意図はだいたい理解したけど、それでも総士だけでなく一騎も物語から退場させて、『EXODUS』で一旦、終止符を打つべきだったという思いが拭えない。神話や(古典劇の)悲劇の物語の構造を知っているだけに、『EXODUS』は喉に小骨が刺さった状態で終わったという感じ。個人的に水樹和佳子『イティハーサ』のようなラストが好み。

 


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