【蒼穹のファフナー EXODUS】人を模倣するフェストゥム

 北極ミールが地球にやってきた後、地上に現れたフェストゥムは人の行動を観察し、人の行動を模倣することによって、効率よく人を同化しようとした。しかし、真壁紅音のように人の中にもフェストゥムとの対話を試みる者が現れた。その結果、フェストゥム自体が変化してしまい、元々持っていた性質を徐々に失っていった。

 

・Test for echo

 今回のタイトル(Test for echo)の意味するところはこれだ。誰にでも自分が一人きりではないと知るには、”エコー”、つまり人からの何らかの共感を得ることが必要である。
Neil Peart「Official guidebook And User’s Manual」(※1

 『蒼穹のファフナー』において外界との接触が絶たれた孤島(※2)に閉じ込められた子供たちが、「あなたはそこにいますか」という外界からの問いに対して返事をしたいと思って行動したが、それは人間の本性に基づく行為だったということになる。

  子供の声「ねえ総士、また聞こえるかな」
  子供の声「たぶんな」
  子供の声「僕の修理に狂いはないよ」
  子供の声「また、ほんとかな」
  子供の声「まって」
フェストゥム「あなたはそこにいますか」
  子供の声「あっ」
  子供の声「やっぱ本物だ」
  子供の声「答えてみる?」
  子供の声「よし」
  子供全員「せーの」
一期1話

 『子供たちがフェストゥムの「あなたはそこにいますか?」という問いに答えてしまったところから蒼穹のファフナー』という物語は始まる。しかし、アニメの中でこの場面についての説明は溝口の「もう7年になるか。子供らが敵のメッセージを受信しちまってから」(※3)という台詞のみ。だが、ドラマCD『NO WHERE』では総士が一騎にこの事件について説明している。

一騎「なんで、敵に見つかったんだ」
総士「僕らが呼んだんだ」
一騎「俺たち…敵を…呼んだ」
総士「7年前、衛が修理した無線機、覚えてるか。
   なにも知らなかった僕らは敵の声を受信し、そして、応答してしまった。
   あの時から敵は僕らの存在を認知していたんだ」
一騎「衛が直した無線機、あ、覚えてる。
   俺とお前と、衛や甲洋もいた。
   そうか、あの時俺たちが、敵を招いた」
ドラマCD『NO WHERE』

 竜宮島の親の世代はフェストゥムと人類から隠れることを選んだが、子供たちは好奇心からとは言え、ある意味、外の世界との対話を選んだと言えるかもしれない。もっともその代償は高くついたが。ちなみに一期1話でフェストゥムの呼びかけに答える場面は『EXODUS』2クール目のオープニングでも描かれた。子供たちの中で返事をしたのは総士、一騎、衛、甲洋、咲良の5人である。

 

 島の子供たちが外界との対話を求めるというテーマは『EXODUS』終盤で再び取り上げられた。

総士「守るべきは…対話の可能性です。
   それが未来に、迷路の出口に近づくことになる。
   それこそ、シュリーナガルからここまでの旅で得られたものです」
公蔵「島を危機にさらしてでもか。
   これまで何のために戦い、犠牲を払ってきた」
総士「父さん、僕は長い間、あなたのように考えることを課してきた。
   だがもう、そうはしないでしょう。
   ただ閉じこもり、自ら対話の道を拒むと言うなら、
   今の僕はその選択を、この島のあり方を否定する」

ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 ここでの公蔵の台詞は一期で子供たちの行動を思い出させた。子供たちがフェストゥムの「あなたはそこにいますか?」の問いに答えてしまったことで、島を危機に陥れ、多大な犠牲を払いながらフェストゥムと戦い続けることになった。だが、子供たちは戦いの中でフェストゥムと対話する方法を見つけ出した。

公蔵「お前たちは犠牲への覚悟を乗り越えた。
   更なる対話を求めた。
   古き世界から去ることを決めた。
   これら三つの選択が一致した」
ドラマCD『THE FOLLOWER2』

 『EXODUS』のラストで竜宮島の住民は島を去ったが、それはドラマCD『THE FOLLOWER2』で描かれていたように一騎、総士、真矢、カノンの4人の意志によるものだった。一期冒頭で描かれた事件でも子供たちは外の世界への好奇心から、フェストゥムの問いに答えたことにより、対話する道を選んだ。『EXODUS』ではアルタイルとの対話を望んだ結果、竜宮島を去ることを決めた。自らの意志で島に閉じこもることを選んだ人とは異なり、閉じ込められた側の人は往々にして見知らぬ外の世界に興味を持ち、出て行ってしまうものである。

 

 これを書き終わったあと、冒頭に引用したNeil Peart「Official guidebook And User’s Manual」の別の一文を思い出した。

HALLO-O-o-o-o!
(こんにちわーー)

Test… for… echo…
(エコーのテストです)

Is anybody out there?
(誰かそこにいますか?)(※4

 「あなたはそこにいますか」の英訳は”Are you there?”である。

 

・誘惑する者

 『蒼穹のファフナー』には英語で”Dead Agrressor”(死の攻撃者、侵略者)というサブタイトルがついている。フェストゥムの本質を言い当てているといい表現で気に入っているけど、個人的にはフェストゥムは人を攻撃するという誘惑する者だと思っている。誘惑する者と言っても、旧約聖書の「創世記」でアダムとイブを誘惑した蛇ではなく、誘惑した相手と運命をともにするファム・ファタール的な存在。

フェストゥム「自分が自分でいることをやめられたらどんなに楽だろう」
    総士「そんな考えは、もう持っていない」
フェストゥム「ホントはフェストゥムのこと羨ましいと思ってるくせに」
    総士「フェストゥムもいろいろやるようになったな。
       僕の心を読んで、僕を誘っているのか」
一期23話

 総士の前に姿を現したフェストゥムは一騎を傷つけた時の総士の姿をしていた。フェストゥムの言葉はその時の総士の本心を暴露しているが、この時の総士はフェストゥムの考えに惹かれていたということだろう。

 

 『EXODUS』においても、フェストゥムが誘惑者であることに変わりはなかった。

グレゴリ型「君を世界の王様にしてあげる」
『EXODUS』25話

 一期の総士の時と同じく、フェストゥムがバーンズの心を読み、本心をつぶやいて誘惑している。実際、バーンズはヘスターを暗殺して、新国連の実権を握ろうとしていたほどの野心家なので、そこをフェストゥムに付け込まれた。

 

 フェストゥムは誘惑者として一騎の前にも姿を現した。

グレゴリ型「ねえ、早く僕たちと一緒になろう」
『EXODUS』13話

 人の前に誘惑者として現れたフェストゥムは人の心を読み、かなわぬ望みをかなえてあげようと言って人を誘惑する。総士にはかつて一騎を同化しようとした時の望みを、バーンズには、ヘスターを倒して実権を握りたいという望みを利用して誘惑した。『EXODUS』開始時の一騎の望みは「ザインに乗って戦いたい」だったが、グレゴリ型が一騎の前に現れた時、一騎の望みは島のコアによってかなえられてしまった後だった。そのため、フェストゥムは一騎の心の中に誘惑するためのネタになる強い望みを見つけられなかったのだろう。(※5)そのためコアの少年は一騎を誘惑することを諦め、力ずくで自分のものにしようとした。

グレゴリ型「お前とミールの調和を消してやる」

グレゴリ型「さあ、ぼくの物になれ」
『EXODUS』26話

 しかし、島のコアが一騎を守り、一騎はフェストゥムを退けた。

 

 一期と『EXODUS』でフェストゥムに誘惑されたのは総士、バーンズ、一騎だが、その中で誘惑に負けたのはバーンズのみ。総士を誘惑する時にはかつて総士自身が持っていたが今は持っていない気持ちを使ったので、総士の心には届かなかった。しかし、バーンズに対しては今現在、バーンズの心の中にある気持ちを言葉にして誘惑したため、バーンズは抗うことはできなかった。また、一騎の心の中には誘惑するためのネタとなる欲望を見出すことができず、強制的に自分のものにしようとしたが、島のミールが一騎を守り、一騎はフェストゥムの誘惑を拒否した。

 人を誘惑するフェストゥムは男を誘惑して破滅させる女、ファム・ファタールを想起させるが、一期と『EXODUS』で男を誘惑したフェストゥムはいずれも少年の姿をしている。フェストゥムが持っている性は今のところ、雄のみということである。

 

※1 Rush『Test For Echo』(1996年)の日本盤CD(AMCY-995)の解説書に掲載されている日本語訳より引用。

※2 『蒼穹のファフナー』のノベライズ版で竜宮島は以下のように説明されている。

竜宮島は、華やかなのは名ばかりで、実情は山と海に恵まれた極端に娯楽の少ない「ど」を冠するにふさわしい田舎である。(中略)実に、物理的にも文化的にも孤島と呼ぶべき地だ。

※3 一期17話。

※4 英文は『Test For Echo』ツアーのパンフレットより引用。日本語訳は自分で行った。
  以下のサイトに「Official guidebook And User’s Manual」の原文(英語)が掲載されています。
  http://www.2112.net/powerwindows/main/T4Etourbook.htm

※5 その結果、一騎は真矢に対して特別な感情を持っていないことを証明してしまったとも言える。