abemaTVでEXODUSを配信 その4

 2016年9月29日から10月18日までabemaTVで『EXODUS』が配信されましたが、これは10月19日の配信分、26話のメモと全話見終わった後の感想です。

 

第26話「竜宮島」

総士「ぼくは今度こそ地平線を越えるだろう
   無と存在の調和を未来へ託して」
一騎「総士、俺も」

 一騎は生きることを望んだが、(総士と一緒なら)という条件付きだったことを思い出した。

 

ビリー「真矢、兄さんは正しい人だった。
    アイもミツヒロも。
    なのに、なにが正しいかわからない」

 ビリーは自分の考えというものを持たず、時には上官の命令に疑問を持つことはあっても、基本的には命令に従う従順な兵士だった。人が自分の考えを持つといつか新国連とは違う考えを持って裏切られる可能性があると考え、側近の一部をパペットにし、不要になれば記憶を消して捨てるヘスターにしてみれば、ビリーのような人がある意味、理想の兵士の姿だったのかもしれない。ビリーはフェストゥムとだけ戦っていれば、有能な兵士だったと思う。

 18話で一騎の殺害を目論んだ工作員を殺害した真矢、23話でパペットを同化した総士を見るとわかるように、ファフナーに乗っている時と同じことを生身でやるというのは、その人が覚悟を決めたことの証である。ビリーはファフナーに乗っている時、ジーベンを捕らえ相討ち覚悟でフェンリルを起動させたが、真矢がフェンリルをキャンセルしてしまった。その後、ビリーは真矢と対峙し、銃を向けるが、即座に真矢を撃つ覚悟はなかった。ビリーは最後まで自分がどうしたいのかを決めることができなかったということである。

 

子ども「ねえ、あの向こうにはなにがあるの」
 一騎「世界とお前の故郷が」
子ども「世界…故郷」
 一騎「行こう、そうし」
子ども「うん」

 おそらく見ていた人のほとんどが凍りついたと思われる台詞。一騎は『EXODUS』6話で新しく生まれたコアに名前を尋ねたことからもわかるように、総士と同じく転生した島のコアは以前とは別人であるということを完全に理解していた。

それではなぜ、一騎は転生した総士をそうしと呼んだのか?

 蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-15「一騎と総士-生と死と…」人とフェストゥムの傷で書いたように『EXODUS』はフェストゥムから祝福を受けた総士の望みがかなった世界でもあった。それは一騎に左目を傷つけられることなく自身の有り様を受け入れ、ファフナーに乗って戦うことが実現した世界。『EXODUS』24話で一騎が島の祝福を受けたということは、『EXODUS』終了後の世界は一騎の望みがかなった世界ということになる。それはすなわち総士は自身の有り様を受け入れているため一騎と一緒にいなくなろうと考えていないので、一騎が総士の左目を傷つけなかった世界。つまり海神島で一騎のかたわらにいる子どもは一騎が左目を傷つけなかった総士そのものということになる。そのため、子どもの名前はそうし以外にはなく、そのそうしに左目の傷もなければ、そうしが総士の記憶を持っていないのは一騎から傷を負わされる前の状態だから、ということになる。

 結局、一騎は自分にとっての神様とも言える総士(※1)を傷つけたことを最後まで許せなかったのだと思う。一騎は島のミールから「真矢と世界、どちらを選ぶの」と問われ、真矢と生きるのではなく世界を祝福することを選んだ。祝福するとは自分の命をフェストゥムに与え、それと同時に人の智慧を与える行為であるが、世界=総士でもあることを考えると、一騎は自分自身の命を差し出すことでやっと自らの罪を償うことができたのだろう。一騎は島の祝福を受け入れた結果、総士の左目を傷つけなければ存在したはずの時間、すなわち総士と一緒に子供時代を過ごすという望みがかなった。

 

全話見終わって

総士「同化された人間の思念、これほどか」
『EXODUS』7話

 竜宮島では人やフェストゥムの記憶が力になっていたので、もし生まれ変わったニヒトのコアとともにニヒトに同化された人やフェストゥムの負の思念も癒やされていたら、その力をニヒトが使うことができるのかもしれない。

 

 ペルセウス中隊と島外派遣組の人間のファフナー・パイロットで生き残ったのが真矢だけというところからもわかるように、竜宮島と新国連並びに人類軍との和解を目指す物語の部分の主人公は真矢だった。主人公となれば当然、待ち受ける運命も過酷。シュリーナガルで姉の弓子は死亡。一期の一騎と同じく新国連に捕らえられ捕虜となった。島と合流する直前、一騎の「帰ったらお祝いしよう。島の人たちと一緒に」(※2)という言葉は完全に真矢にとってのフラグだった。シュリーナガルから島に戻る旅の間にぎこちなかった一騎とは距離が縮まったものの、一騎が総士の後を追って人であることをやめて生きることを選んだため(※3)、実質、一騎とは生き別れという悲しい結末を迎えた。一騎は真矢の物語に顔を出していたが、『EXODUS』で与えられた役割は総士の物語のパートナーだった。

 真矢が島の外の物語の実質的な主人公だったが、総士とともに真矢が島に戻って来た時、主人公という役割は終った。真矢が島に到着した瞬間、『EXODUS』の主人公は再び語り手である総士になった。『EXODUS』26話のBパートで突如、総士が前に出てきて主人公の位置に収まり、すべてをかっさらっていったという初見時の印象が忘れられない。

 その一方で『EXODUS』で一番割りを食ったのが一騎だったと思う。スポーツ万能でありながら、内面に暗いものを抱えているという一騎はアニメよりは小説向きのキャラクター。その上、『EXODUS』で一騎に与えられたテーマは死と向き合い、それを受け入れることだったと思う。これは自分一人で答えを見つける問題。そのため、一騎の言葉は少なく、その内面をうかがい知るのは容易ではない。そのうえ一騎が言った言葉で気になったものはほとんどが回収されなかったのが気になるところ。ドラマCD『THE FOLLOWER2』で一騎が生きることを選ぶ過程は描かれたが、私は島のコアから「あなたはどう世界を祝福するの」(※4)と言われた後、一騎がどう考えてあの答えにたどり着いたのかという部分に興味がある。

 

 終盤、尺が足りなかった理由は明確で、一期とシンメトリカルな構成にするためにカノン回を一期と同じ17話に設定したから。15話までの内容的で1クール目を締めくくるというのがベストだったと思う。これだと視聴者は広登の死を半年間、噛みしめながら過ごすことになるが。

 最終回放映から10ヶ月、作品を一通り読み解き終わったところなので、詰め込みすぎと言われる終盤はすごく見やすく且つわかりやすかった。週一でも読み解けないほどの情報量と感情的についていくのが難しいと感じるほどの慌ただしい展開だったのだと思う。個人的には初見時には気がつかなかった終盤のウィークポイントが見えたのはありがたい。

 本放送時は一期のオマージュ内容は1クール目で終わらせ、2クール目は一期にとらわれない、新しい物語が見たいと思っていた。しかし、今回、そのあたりについてはほとんど気にならなかった。自分の中でなにか変わったのだろうか。

 

 一期は『RIGHT OF LEFT』放映後に一回全話見た後、見るのがつらすぎる26話は完全に封印。結局、『HEAVEN AND EARTH』を見た後に、やっと26話を見ることができた。今は『EXODUS』26話で織姫と総士がいなくなる場面は直視できないのですが、果たして一期26話のように普通に見られるようになる日は来るのだろうか。

 

※1 ドラマCD『NOW HERE』での発言。

総士「お前にとって僕は神様か」
一騎「似たようなもんかな」
総士「よしてくれ。
   僕だって全能ではないんだ。
   責任が持てない」

 このドラマCDの終盤を聞くと、一騎は総士と言えど全能ではなく、できることには限界があること理解していることがわかる。

一騎「ただ、俺と同じように限界があるだけなんだ。
   そのことを忘れて、悪かった」

※2 『EXODUS』21話。

※3 『EXODUS』24話で一騎は総士に「お前が選んだ道を、俺も選ぶよ」と言っている。

※4 『EXODUS』4話。

 

P.S. 『蒼穹のファフナー EXODUS 2017年カレンダー』の購入者向けの追記。カレンダーは10月12日に到着しましたが、26話のラストのパラグラフを書き終わったのは10月11日(!)です。この記事にはabemaTVでの配信前に書いた文章と配信後に書いた文章が混在しています。

 

 偶然にもabemaTVで一期から『EXODUS』までの放映を見た後にワーグナーの『パルジファル』(10月16日にNHK BSプレミアムで放送)を見るという形になりました。この2作品を続けて見ることで、頭を整理することができるので個人的には大変ありがたい。第1幕の場面転換で、『EXODUS』6話で美羽ちゃんがアルタイルと接触した時に見たような映像が流れてきたのには驚いた。そんなところでこの2作品がリンクしなくていいよ。このオペラは4時間以上あるので、まだ全部見ていません。

 


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