ガオガイガー、ゼーガペインとファフナー

 昨晩、abemaTVで『勇者王ガオガイガー』(#1~#2)と『ゼーガペイン』(#11~#12)を見ていたのですが、ファフナーと比較するとなかなか面白いものが見えてきた。どちらの作品も初見ではありません。

 

 『勇者王ガオガイガー』の#1を見て、衛は親族にロボを運用する組織に属する人がいて、友達に内部情報を話す(=子どもという視聴者に近い視点で、物語の中の情報を視聴者に説明する役割を担っている)という古いロボットアニメに登場するキャラクターが根底にあることに気がついた。それに加え、劇中劇も含め『機動戦艦ナデシコ』(1996年)のダイゴウジ・ガイの要素が足されている。ファフナーはロボット・アニメの定番を踏襲して始まるけど、後半になるに従ってその定番から外れていくことを思い出した。

 『ゼーガペイン』#11のクリスがアークとともに死ぬことを選ぶ場面を見て、『EXODUS』26話、存在と無の地平線での一騎と総士が別れる場面を思い出した。物語の構造はほぼ同じ。残される人は一緒にいなくなることを望むが、それをいなくなる人と友人が止め、いなくなる人は自分の代わりに『ゼーガペイン』では犬を、『EXODUS』は子ども(転生した総士自身)を残して去っていった。

 

 ファフナーは一騎が自らの行為で傷つけ、疎遠になった総士、甲洋と和解する物語、つまり、男の友情を描いた物語だったということになる。『EXODUS』で一騎は総士を傷つけた時に自らも負った心の傷が癒やされ、総士と甲洋を傷つけた後に失ったものをすべて取り戻したところで物語が終わった。そのため、物語開始時のヒロインである翔子も、翔子がいなくなった後、その役割を引き継いだ真矢も、主人公である一騎の物語には深く関わっていない。