蒼穹のファフナー EXODUS 第24話-2「一騎の選択」

 蒼穹のファフナー EXODUS 第24話「第三アルヴィス」への追記です。

 

・総士の背を追う者

 「蒼穹のファフナー」は主人公である一騎が自分より先にいる総士を追いかけ、同じ位置に立とうするという物語だった。

 一騎は自分のせいで失った総士の左目の代わりになりたいとファフナーに乗り、何も疑問を持たずただ総士の指示通り戦ったが、翔子の死に甲洋が同化されてしまった。一騎にはその出来事の後の総士の態度と言葉が理解できなかった。総士が見たという島の外の世界を見れば、彼を理解できるのではないかと思い、一騎は島を出て行った。一騎は島の外の世界を見ると同時に自分が過去に犯した罪の真実をも知った。その結果、一騎はやっと総士と同じ場所に立ち、同じ物を見ることができるようになった。

総士「一騎、僕の見ているものが見えるか」
一騎「ああ、見える」
一期16話

 一騎は外の世界を見たことでやっと総士のいる場所にたどり着いたように見える。しかし、一期ラストで総士は再び一騎の手の届かない、フェストゥムの世界へと行ってしまった。

 『HEAVEN AND EARTH』で総士は存在を取り戻し、『EXODUS』は一騎と総士が島で平和な生活を送っているところからスタート。しかし、現状をすべて受け入れている総士と余命3年という現実をなかなか受け入れられない一騎という対称的な状況に置かれている。結局、一騎は目の前にある現実と折り合いをつけられないまま、総士ともに戦うことを選び、再びザインに乗った。

 『EXODUS』14話で一騎は総士にこう問いかける。

一騎「総士、フェストゥムの世界ってこんなふうなのか」
真矢「一騎くん…」
総士「お前がそれを聞くのは初めてだな」
一騎「なんとなく、知っておかないと勝てない気がする。
   どこかにいる、本当の敵に」
『EXODUS』14話

 このシーンでの一騎の台詞からは総士が知っていることを自分も知りたいという一騎の気持ちを強く感じる。そして、総士が語るフェストゥムの世界を一騎が理解した時、一騎はまた総士と同じ場所に立つことができると思っているようにも感じる。

 

・島のコアの望みを叶える者

総士「ぼくはコアの言葉に従う。
   ずっとそうしてきたように」
一騎「行くよ、俺も」
総士「一騎」
一騎「お前が行くなら、俺も行く」
『EXODUS』6話

 『HEAVEN AND EARTH』での「俺がやる、お前が望むなら」の時と同様に、一騎は『EXODUS』でも総士の望みを叶えるために戦うことを選んだ。この時、総士が「ぼくはコアの言葉に従う」と言っているけれど、「総士の望みを叶える=コアの望みを叶える」ということになる。一騎はこの時、おそらくこの構図には気がついていない。

 『EXODUS』3話でエメリーが島のコアと会話した時に、島のコアは自身が世界を祝福しなければ未来はないと判断した。『EXODUS』24話での島のコアと一騎の会話を見るとわかるように、コア自身がが世界を祝福することはできない。それを実現するのためには人を介する必要があり、島のコアは一騎を選んだ。そのために『EXODUS』4話で島のコアは一騎に「あなたはどう世界を祝福するの」と問いかけている。

 一騎は『EXODUS』4話で島のコアから問いかけられた「世界をどう祝福するのか」の答えを探しながら、島を出てからシュリーナガル、ダッカ、ニューペイジンを経由しハバロフスクまで旅した。しかし、島に帰還すると同時に一騎は人としての寿命を使いきってしまった。

 

・同化ではなく…

 『EXODUS』24話で一騎は島のコアから総士と同じ道を提示され、『EXODUS』6話で「お前が行くなら、俺も行く」と言った一騎の覚悟を問う。一騎も総士と同様に島のコアの望みを叶える存在になることを受け入れるのかと。

カノン「今我々とお前の間で調和の可能性が開かれた。
    皆城総士が存在と無の調和を選んだように。
    お前が世界を祝福するなら、
    我々が生と死の循環を超える命を与えよう」
『EXODUS』24話

 一騎は最終的にこの島のコアからの提案を受け入れた。その結果、一騎は総士が子供の頃から背負っていたものをすべて理解し、総士と同じ位置に立ち、全く同じものを見ることができるようになった。これはおそらく一騎が初めてファフナーに乗った時からの望みであったと思う。

 かつて父から島のコアを守るために生きろと言われた総士はその重荷に耐え切れず、一騎を同化していなくなろうとした。しかし、総士と同じく一騎もまた島のコアの望みを叶える存在として生きることを受け入れた結果、かつて総士がやろうとした同化して一つの存在になるというフェストゥム本来の性質は否定され、一騎と総士という個を持つ二人が島のコアの望みを叶える者として存在するという形が肯定されることになった。ふと『EXODUS』2クール目のOP『DEAD OR ALIVE』の歌詞を思い出した。「君とここにいる」と。

 一期から総士=フェストゥム、一騎=人間という構図は引き継がれているので、一騎がやっと総士と同じ場所にたどり着いたということは、人とフェストゥムがやっと互いに理解し合えるところまでたどり着いたということでもある。