【蒼穹のファフナー EXODUS】ミールと人間の関係

 人間がミールとの共存を望んだ時、敵であるはずのミールは未来への希望をもたらす存在となったが、同時に神のように崇められる存在へと変化した。

 

・日本人と瀬戸内海ミール

一騎「あと3年、それだけあれば覚悟だってできる」
『EXODUS』1話

 この言葉をひっくり返せば、一騎はまだ覚悟できていないということになる。

 一騎はハバロフスクでのアビエイターとの戦いの最中、同化現象に襲われ、総士を傷つけた右手を失った。アビエイターをなんとか倒したものの、一騎の人間としての命は終わりに近く、昏睡状態に陥った。竜宮島のミールは一騎が世界を祝福することと引き換えに祝福を与えたが、その祝福はフェストゥムが紅音と総士に与えたものとは違うもののように感じた。その時、ふと浮かんだ言葉が「死と浄化」、R・シュトラウスの交響詩のタイトルである(※1)。

 その昔、乙姫は一騎に「総士は一騎に感謝してる」(※2)という総士の本心を伝えたが、それでも総士を傷つけた上に置いて逃げたという一騎の罪悪感は消えることはなかった。結局のところ、一騎は自らの命でしか罪を償えず、死によって一騎の罪は浄化され、竜宮島のミールの祝福により一騎は生まれ変わった。こういう考えから「死と浄化」という言葉が浮かんだが、実のところ、これはキリスト教の考えに近い。

彼(イエス)を心から信ずることによって、人間たちも罪の汚れから浄められて新しい人に生まれ変わり、救いを得ることができる――キリスト教は、こう考える。
礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』(講談社学術文庫)

 ということは一騎にとって竜宮島のミールがイエス・キリストに相当する存在ということになるのだろうか。実は冲方丁が書いた『HEAVEN AND EARTH』の前日譚である『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』には竜宮島の住民がコアを神様として見ているという描写がある。

「あたし、いつでも会ってます。乙姫ちゃんと」
「――コアと?」
 島の中枢で眠る、まだ幼い、島民にとっての小さな神様のことだと思った。
冲方丁『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』(※3

 しかし、織姫は岩戸から出た後、父が神社の神主を務める芹の家で生活したことからもわかるように、竜宮島のミールはイエス・キリストというよりは神社に祀られた神様という存在で、コアと島民は神社に祀られた生き神と氏子という関係だった。竜宮島の住民がミールを啓示宗教の神ではなく、神道の神のように崇めたのは、住民が日本人の生き残りであるだけなく、最初のコアである乙姫の立ち振舞によるところが大きいと思われる。一期の放送時、冲方丁はインタビューで乙姫というキャラクターについてこう語っていた。

 周囲の存在に、あらゆることを自分の意志で選択することを望むのが、乙姫なんです。そして、乙姫自身はそれをひたすら見守るだけ。
『アニメージュ』2004年11月号

 竜宮島では島の住民が主、コアが従という関係はコアが転生した後も受け継がれた。

織姫「あなたたちの選択に私は反対しない。
   選んだ道を進めるよう守るのが、私の役目」
『EXODUS』6話

 

・瀬戸内海ミールとアショーカ

 瀬戸内海で発見されたミールは三分割され、竜宮島、海神島、蓬莱島が所有した。竜宮島では皆城鞘がミールに同化されたが、お腹に中にいた子どもは同化されず、ミールのコアになった。人間の胎児から生まれたコアは人間と同じく成長していったが、人間とコミュニケーションを取ることはできなかった。

史彦「我々は彼女の意思に従うしかない」
一期14話

 それ故、竜宮島の住民たちはコアを崇め、一方的にその意思に従うことを選んだ。また、公蔵はコアを守るためにコアの兄である総士に自己犠牲を強いた。

総士「ぼくはこの島のコアを守るために生きてるんだって、父さんに言われた。
   自分や他の誰かのために生きてちゃいけないんだって」
一期15話

 しかし、子どもである総士にはコアをだけのために生きることに耐えられなかった。そのため、一騎と一緒にいなくなろうとしたが、一騎が総士を拒否したことで、結果的に総士はコアのために生きることをやめた。竜宮島が人類軍に占領されるという危機に瀕した時、島のコアである乙姫は岩戸を出た。その結果、人間はコアとコミュニケーションすることが可能になったが、乙姫は島民にミールの考えを押し付けるのではなく、住民の意思を尊重する道を選んだ。そして、その考え方は織姫にも受け継がれた。その結果、竜宮島の住人はミールを崇め、その意思に従うのではなく、コアと一緒にフェストゥムとの共存する道を探すことになった。

 

 ナレイン将軍はハワイでエメリーと出会い、エメリーが持っていた北極ミールのかけらをエリア・シュリーナガルに根付かせた結果、アショーカが誕生した。また、ナレイン将軍はミールやフェストゥムと対話することのできるエスペラントを集めた。しかし、アショーカには竜宮島のミールのように人間と直接コミュニケーションの取れるコアが存在しないため、乙姫が岩戸から出る前の竜宮島と同じく、エスペラントは一方的にミールを崇め、守ることに力を注いでいた。

ナレイン「数百人のエスペラントが君を待っている。
     皆、喜んで、君とエメリーの盾になるだろう」
『EXODUS』3話

 ナレイン将軍のこの言葉からわかるように、エスペラントはアショーカを守るためには自らの命も厭わない人々だった。それは公蔵が総士に強いた生き方でもあった。

総士「ぼくはこの島のコアを守るために生きてるんだって、父さんに言われた。
   自分や他の誰かのために生きてちゃいけないんだって」
一期15話

 総士は一騎と一緒にいなくなろうとしたが、一騎に拒否された結果、この生き方を否定することになった(※4)。しかし、エスペラントは最後までこの生き方を肯定した人々の集団だった。事実、エスペラントは全員、アショーカをシュリーナガルから海神島に運び、根付かせるために自分たちの命を使ってしまった。だが、エスペラントの犠牲は無ではなく、アショーカが海神島に根付いた時、コアが生まれた。

 コアはいずれ岩戸を出て海神島の住人と対話することになるが、第四次蒼穹作戦でエスペラントとエスペラントの資質を持つ者で構成されていたペルセウス中隊が全滅したため、コアと対話するのは元々シュリーナガルに住んでいた一般の人々の代表ということになる。シュリーナガルの人々はコアとの対話を通して、かつて敵であった北極ミールのかけらから生まれたアショーカを知り、受け入れることになるのだろう。

 竜宮島では皆城鞘がミールに同化されたが、胎児は同化されずコアになった。一方、アショーカは100人ほど(※5)のエスペラントの命の犠牲にした後、コアが生まれた。アショーカは生まれることを嫌がったボレアリオス・ミール(※6)と同じく、人間から与えられたたくさんの痛み(※7)を癒し、人の命を理解するためにはエスペラントの命が必要だったのかもしれない。

 

※1 R・シュトラウスの交響詩『死と浄化』(『死と変容』の方が正確な訳)の原題はTod und Verklärung。Verklärungはアクセス独和辞書(三修社)では「(キリスト教)変容」となっている。千葉フィルハーモニー管弦楽団のサイトにある『死と変容』の楽曲解説の中で、Verklärungという単語について説明している。

ここではドイツ語のVerklärungを「変容」と訳してあるが、これはもともと、十字架にかけられたキリストの相貌が死に臨んで激変し、安らかな表情に変わったことを意味する言葉で、「光明で満たすこと」「浄化」といった訳にもなる。 リヒャルト・シュトラウス (1864~1949) 交響詩 〈死と変容〉

※2 一期15話、乙姫は一騎に「総士はね、一騎に感謝してるんだよ」と言った。

※3 『Newtype Library 冲方丁』(2010年、角川書店)に収録。

※4 一期22話で総士は乙姫にこう言っている。

総士「お前と島を守るために僕は生きている、そう思っていた」
乙姫「一騎に傷つけられるまでは、でしょ」

※5 『EXODUS』10話でナレイン将軍がダッカに向かう2万人の市民を守るのは「42機のファフナー、320名の軍人、特に優秀なエスペラント100名だ」と言っている。

※6 『HEAVEN AND EARTH』で来主操の台詞「たくさんの痛みがあって、俺たちのミールは新しく生まれることを嫌がった」。

※7 『EXODUS』21話、総士は「北極の決戦から5年、フェストゥムの憎悪が僕らに降り注いだ」と言い、エメリーは「どの群れも、私たちを憎み切っている」と言っている。

 


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