人間が子どもを得るために必要な恋愛、結婚、妊娠、出産という過程は剣司と咲良、道生と弓子という二組のカップルに振られ、主人公である一騎と真矢は恋愛という要素から徹底的に遠ざけられた。その結果、一騎と真矢は恋愛、結婚、妊娠、出産という過程を経ずに『EXODUS』のラストでそれぞれが子どもを一人ずつ得た。
「蒼穹のファフナー THE BEYOND」ティザーPVの感想 その1
一騎は主人公であるにも関わらず、性を持たない存在として描かれているように感じる。それはなぜなのだろうか。
一騎は子供の頃、総士の左目を傷つけ、逃げ出してしまった。その上、一騎は総士の左目を傷つけたことを誰にも言うことができなかったため(※1)、ずっと罪悪感に苛まれていた。一騎の瞑想訓練の海は真っ暗な深い海の底(※2)だが、『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』で一騎は最初は海の上にいたが、何らかの理由でそこから落ちてしまったことが指摘されている。
「(前略)問題は、なぜ落ちたか。そして、なぜ落ちたままでいようとするか、よ」
(中略)
総士の左目の光を奪ったのだ。
しかも、そのことで誰にも責められなかった。総士自身が、一騎にそうされたことを誰にも言わなかったからだった。
だから、きっと、せめて自分を罰するために、自分から暗い海に落ちたのだろう。
冲方丁『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』(※3)
瞑想訓練の海の描写から総士の左目を奪ったことは、一騎の心に深い影を落としたことが読み取れる。
一期の開始時の、一騎を中心とした人間関係を図にすると以下のようになる。赤の矢印が恋愛感情の向きを示している。
一騎は翔子と真矢から恋愛感情を向けられているが、一騎は総士を傷つけた後、人と深く付き合わないようにしていたこともあり、一騎が恋愛感情は持っている相手はいない。一期から『EXODUS』まで、一騎の女性に対する恋愛感情はほとんど描かれていない。これが一騎に性を感じられない要因の一つだが、ノベライズには一騎が男性であることを表現している文章が存在している。
敵の結晶核(コア)――その紅い命の輝きが見たくて、敵が猛然と触手振るうのも構わず、思い切り、引きずり出した。
剥き出しになったもの。それを傷つけられたら二度と立ち直れないようなものが、自分の手の中にあるのだという快感が、腰から頭のてっぺんへと奔った。
冲方丁『蒼穹のファフナー ADOLESCENCE』(※4)
一騎から性を感じられないのは、総士の左目を傷つけた罪悪感から自らの攻撃性を封じるため、自らの男性性を精神的に去勢してしまったからではないだろうか。そのため、一騎は性を欠いた存在になってしまったが、ファフナーに乗った時には男になることができる。神話学的に剣や槍は男根を象徴していると言われているが、一騎はマークザインに乗っている時に使用する武器は基本的にルガーランス1本(ノベライズでルガーランスは雷撃槍と書き、ルガーランスとルビが振られている)である。つまりルガーランスが一騎が失った男根ということになる。しかし、一騎がファフナーに乗っている時に男でいるためには、ファフナーだけでなく総士という存在が必要不可欠だった。
総士「恐ろしくはないのか、お前一人で」
一騎「俺が戦ってる時、システムの中にはお前がいる。
怖いと思う必要もない」
真矢「一騎君は他のみんな、いなくてもいいの」
一騎「ああ、あの機体なら俺一人でも」
真矢「皆城君がいなくても」
一騎「総士が、いや、それは」
ドラマCD『NOW HERE』
事実、一騎は総士と和解した後、仲の良い異性の友達でしかなかった真矢との関係が進展した。しかし、ジークフリートシステムがフェストゥムの根に覆われ、総士がシステムに閉じ込められた時、一騎と真矢の関係は一騎がファフナーに乗る前の状態に戻りかけていた。
一騎「遠見は、誰かの分まで思い出を大事にしてくれるんだな。
だから、いっしょにいると安心するのかな」
真矢「そう、そうなのかな」
一期23話
真矢は一騎のこの言葉を好意的に受け取っているが、男が好意を持っている異性と二人きりになった時、安心するという気持ちにはならない。つまり、一騎は総士を失いかけた時、再び性を持たぬ存在へと戻りかけていたということになる。
一期は北極ミールとの戦いが終わったところで物語の幕が下りた。戦いが終わる、ということは一騎がファフナーから離れることを意味していた。しかも、総士は一度、フェストゥムの側に行くことを選んだため、一騎は総士を取り戻すことはできなかった。その結果、総士を失った上に、ファフナーから遠ざかった結果、一騎は再び性を持たぬ存在となり、少し進んだように見えた真矢との関係も一期開始時の状態に逆戻りしてしまった。
『HEAVEN AND EARTH』は一期から2年後の物語だが、総士がいない状態では一騎と真矢の関係が変化することはなく、一期ラストの状態が継続した状態で物語は終了した。
『EXODUS』は『HEAVEN AND EARTH』から3年後の物語である。一騎の世代のパイロットは真矢を除いて全員引退となり、マークザインは封じられた。ファフナーを完全に奪われた一騎の見た目は長い髪を持ち、母親似の女顔となり、見た目も性を失った存在になっていた。また、『HEAVEN AND EARTH』で総士が帰ってきたことで、真矢との関係もうまくいっていると思われたが、一騎の残りの人生の過ごし方をめぐる考え方の違いから、一騎と真矢の心理的な距離は離れてしまった。しかし、一騎は島のコアである織姫の命により、再びマークザインに乗って戦うことになった。一騎はマークザインに乗った時、再び男という性を持つ存在になり、その後、伸ばしていた髪を切った(※5)。一騎は髪を切った直後、真矢と話した。
一騎「遠見の居場所はここじゃない」
真矢「えっ」
一騎「島に帰ろう、一緒に。
生きて戻ろう」
『EXODUS』19話
この会話をきっかけに一騎と真矢の関係は進展していった。しかし、真矢が危惧していたように一騎がファフナーに乗るということは、確実に一騎がいなくなる日が来るということを意味していた。
一騎「遠見、誕生日おめでとう」
真矢「えっ」
一騎「今日だろ、11月11日」
真矢「あたし、忘れてた」
一騎「帰ったらお祝いしよう。
島の人たちと一緒に」
『EXODUS』21話
一騎のこの約束が果たされることはなかった。ハバロフスクの戦いで真矢は新国連の捕虜となりダーウィン基地へ連行され、一騎はアビエイターとの戦闘で人としての命を使い切って昏睡状態に陥った。一騎は島のミールの祝福を受け入れ、生き続けることを選んだ。それは一騎が総士の後を追ってフェストゥムの世界に行くことを意味し、人の世界に留まり続ける真矢とは別の世界の住人となってしまった。
一騎は総士を傷つけてしまった結果、自ら攻撃性を封じるために精神的に去勢してしまった。そのため、性を持たない存在になってしまった。一騎はファフナーに乗った時のみ男性として振る舞うことができたが、真矢と深い関係になるには時間が足りなかった。そのため、子孫を残すことなく、人間としての命を終えた。それでも生きることを望んだ一騎は竜宮島のミールが差し出した「生と死の循環を超える命」(※6)を受け取った。しかし、すでに一騎は人間としての人生は終わっているため、おそらくこの後、一騎に子どもが生まれることはないだろう。
※1 ノベライズには一騎は真矢にだけ罪を告白したとの記述がある。
ただ一人――真矢を除いて。五年間で、ただ一人、自分の罪を告白した相手。
冲方丁『蒼穹のファフナー ADOLESCENCE』二章8(ハヤカワ文庫JA)
ただし、一騎が真矢に罪を告白した時期については明確にされていないが、瞑想訓練の海で落ちたままであることを考えると、一騎は自身を罰した後、真矢に罪を告白したのかもしれない。
※3 『Newtype Library 冲方丁』(2010年、角川書店)に収録。
※4 冲方丁『蒼穹のファフナー ADOLESCENCE』二章7(ハヤカワ文庫JA)。
※5 『EXODUS』3話、一騎は「これも俺の一部で、生きてるって思うと切る気がしないんだ」と言っている。
※6 『EXODUS』24話、竜宮島のミールは一騎に「我々が生と死の循環を超える命を与えよう」と言っている。
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