真矢のように遠くから登場人物を見ているだけでは、登場人物の考えや感情を知ることはできません。どうすれば登場人物の考えや感情を知ることができるのでしょうか。
●物語の登場人物になる
カノン「見るだけではない。
この手で触れてやる」
『EXODUS』16話
カノンの言葉通り、視聴者は登場人物を見ているだけではなく、登場人物に触れればいいのです。登場人物に触れるとは、視聴者が登場人物そのものになって、物語を見ることを意味します。視聴者には理解できない登場人物の言動や行動があった場合、自分が納得できるような理由を考えればいいのです。それでも理解できない登場人物の言動や行動はどうすればいいのでしょうか。
一騎「あいつが、島の外で見たものを、俺も見たかったんだ。
そうすれば、あいつのことがわかるんじゃないかって」
一期15話
一騎は総士の考えていることが理解できなくなった時、自分と総士を比較しました。その結果、一騎は「竜宮島の外の世界を見たことがない」のに対して、総士は「竜宮島の外の世界を見たことがある」ということに気がつきました。一騎は自分も総士が見た竜宮島の外の世界を見れば、総士の考えていることがわかるかもしれないと考え、自分の目で竜宮島の外の世界を見ることを選びました。
視聴者が理解できない登場人物の言動や行動があった場合、一期10話の一騎と同じく、登場人物が経験したものと自分が経験していないものを比較して、登場人物は経験しているが自分が経験していないものを探し、視聴者が登場人物と同じ経験をすればいいのです。登場人物が経験したものの中には、視聴者が経験することができないものがあるかもしれません。その場合、フィクション、ノン・フィクション問わず物語を読むという形で、他人の経験を自分の経験にすることができます。
●言語外現実(レアリア)
竜宮島は20世紀の日本の田舎の町並みそのものです。しかし、物語の舞台は今から120~130年後の世界であり、竜宮島は人類とフェストゥムとの戦いで生き延びた人々が作った場所でした。そんな世界で、ある日突然、フェストゥムが襲来し、生きるために戦うことになった大人と子どもたちは、視聴者と同じ価値観を持っているのだろうか? もし違うのであればどう違うのだろうか? 作品に対して、常にこう問いかけながら、作品を見る必要があります。これは言語外現実(レアリア)と呼ばれています。
ことばを学んでいくうえで大切なことに、言語外現実(レアリア)がある。これは「ある時期の生活や文芸作品などに特徴的な細かい事実や具体的データ」というふうに定義されている。ある言語が話されている社会や時代のいわば常識ともいうべき、みんなが認識している事柄である。
黒田龍之助『外国語の水曜日の再入門』(白水社)
本来ギリシャやラテンの古典語を読むのに、このレアリアの知識が必要であったことを示している。
千野栄一『外国語上達法』(岩波新書)
冲方丁が脚本を書いていない一期前半(特に一期6話まで)は、言語外現実(レアリア)が徹底されていないので、注意が必要です。
●フェストゥムになる
一騎「お前が選んだ道を、俺も選ぶよ」
『EXODUS』25話
一騎は総士を理解するために総士が選んだ道、つまりフェストゥムになることを選びました。これは視聴者が『EXODUS』24話以降の一騎を理解するためには、視聴者も一騎と同じようにフェストゥムになる必要があることを意味しています。
織姫「島のミールが一騎を祝福した」
史彦「なに」
織姫「もう戻れない」
『EXODUS』24話
織姫の言葉通り、一度フェストゥムになると、元に戻ることはできません。
●理解する
『蒼穹のファフナー』のテーマは相手の考えを理解することでした。このテーマは最終的にこの作品を見ている人にも拡大され、視聴者が登場人物の考えをすべて理解した時、『蒼穹のファフナー』という物語が終わるのです。つまり『蒼穹のファフナー』という物語を終わらせるか否かは視聴者次第、ということになります。
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