【蒼穹のファフナー THE BEYOND】「デューン」と「七夕の国」

 『THE BEYOND』とフランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』、岩明均『七夕の国』を対比してみました。

 この記事にはフランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』と岩明均『七夕の国』のネタバレ内容が含まれています。

 

●デューン 砂丘の子供たち

 『デューン 砂丘の子供たち』までと『蒼穹のファフナー』シリーズの物語の構造は似ているのですが、今回は世代交代を取り上げます。

 フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』(ハヤカワ文庫SF)は、前作までの主人公、ポールの子であるレトとガニーマが親世代(ポールと妹のアリア)とは違う道を選択することで、親世代の価値観の終わりを告げる物語でした。事実、レトとガニーマが親世代(ポールと妹のアリア)とは違う道を選択した後、親世代(ポールと妹のアリア)はいなくなりました。

 『THE BEYOND』は『デューン 砂丘の子供たち』と同じく、前作までの主人公の子世代にあたるこそうしが、親世代とは違う道を選択することで、親世代の時代の終わりを告げる物語でした。こそうしは一騎に総士の灯籠を流させることで、親世代の終わりを告げたのです。

 

●七夕の国

 岩明均『七夕の国』ラストの南丸洋二、東丸幸子と『THE BEYOND』12話の喫茶楽園前の真矢、一騎を、「南丸洋二=真矢」、「東丸幸子=一騎」という関係にすると、以下のようになります。

  • 南丸は幸子の手を掴んだ。
    南丸は幸子を地球に留まらせることができた。
  • 真矢は一騎の手を掴めなかった。
    真矢は一騎を竜宮島に留まらせることはできなかった。

 南丸は幸子の望み(窓の外の向こう側に行きたい)よりも自分の考え(窓の外の向こう側に行くべきではない)を信じたので、幸子を掴むことができたのに対し、真矢は自分の望み(一騎は竜宮島にいてほしい)よりも、一騎の望み(竜宮島から旅立ちたい)をかなえることを選んだため、真矢は一騎の手を掴むことができなかったのだと私は考えています。