最後の問い-補足-

 2019年10月、私はあるものを見た時、『THE BEYOND』12話、総士の灯籠を見送る一騎と同じことを考えていたので、『ファフナー』の中に入ってしまいました。それから数年後、そこでやるべきことはすべてやったと思ったものの、『ファフナー』からの出口は一向に見つかりません。

 2025年3月、私は手持ちの資料でやれることはすべてやったと判断し、発売されたばかりのゲディ・リー『ゲディ・リー自伝 我が奇妙なる人生』(シンコーミュージック)を読み始めました。この本を読み終わった後、映画『サラエボの叫び』のX=『ゲディ・リー自伝』のY=『THE BEYOND』12話、史彦が手の中の人形にした時、『ファフナー』からの出口が見つかりました。

 『サラエボの叫び』のXと『ゲディ・リー自伝』のYの違いは、XとYに対する感情の有無です。私は傍観者の視点で見たXに対しては感情が感じなかったのに対し、事者視点で見たYに対しては感情を感じてしまいました。私がYを見た時の感情は史彦が人形を手にした時の感情だったので、私が『ファフナー』からの出口を見つけることができました。

 出口の先にある長い通路を通り抜けた時、こちらの世界に戻る、つまり一視聴者に戻ることができました。

 

 『ファフナー』を理解するため必要なものは、「視聴者が『ファフナー』の登場人物と同じ立場に立った時、登場人物と同じことを考えたり、同じ感情を感じること」でした。しかし、言葉では私が考えたことや感じた感情を他人に伝えることはできません。つまり、言葉では他人に伝えることのできないものを、作品を理解するための鍵にすることは、言葉でネタバレが拡散するネット時代におけるネタバレ対策にもなっていたのです。