※伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房)の小説と映画版のネタバレがあります。
個人的に伊藤計劃『ハーモニー』(2008年)はアニメ『蒼穹のファフナー』(冲方丁、2004年~)と対をなすポスト・エヴァな作品だと思っています。この二作品はともに同性の友情を軸に、わたしという存在のあり方を模索している。
『蒼穹のファフナー』は『EXODUS』のラストまで見ると、主人公と友人の関係と物語構造は怖ろしいほど『ハーモニー』と似通っている。友人を理解したい主人公は友人を追いかけ、最終的に主人公は友人と同じところに到達し、友人を理解する。だが主人公が理解した時、主人公は友人を失い、友人の考えを受け継ぐ者になる。
だが、『ハーモニー』と『蒼穹のファフナー』は以下の部分が完全に逆になっている。
- 『ハーモニー』は霧慧トァンと御冷ミァハという女性の物語で、『蒼穹のファフナー』は真壁一騎と皆城総士という男性の物語。
- 『ハーモニー』で主人公は友人を殺害するが、『蒼穹のファフナー』で友人自らの選択の結果、いなくなった。
- 『ハーモニー』で主人公は友人の望む世界を否定するが、『蒼穹のファフナー』で主人公は友人の望む世界を肯定する。
- 『ハーモニー』はわたしという意識がなくなった世界を選び、『蒼穹のファフナー』ではわたしとあなたがここにいる世界を選んだ。
『ハーモニー』では主人公は友人を殺害し、友人の望む世界を選んだが、主人公は自らの意に背く世界を選んだ結果、わたしを失った。つまり、主人公は友人とともに死を選んだということになる。一方、『蒼穹のファフナー』は友人が主人公に傷つけたられたことでわたしとあなたという別の存在になり、一緒に生きていくことを選んだ。
そのため、同性の友情を同性愛にしてしまった『ハーモニー』の映画版は私の考えとは異なるので受け入れられない。『蒼穹のファフナー』と同じく同性の友人だったからこそ描けるテーマだったと思う。
P.S. 私は伊藤計劃の訃報を聞いた後、『ハーモニー』を読んだ。著者は主人公が友人を殺害することで、わたしという意識が消える世界を否定したが、「(わたしという意識が消えたとしても)それでも生きたい」という著者の強い意志を感じたことを付け加えておく。
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