「蒼穹のファフナー」第4話~第6話の感想

 『蒼穹のファフナー』の第4話~第6話のセリフを書き起こした時の個人的な感想をまとめたものです。CDドラマ、映画『HEAVEN AND EARTH』、『蒼穹のファフナー EXODUS』の内容にも触れています。話数全体の感想ではありません。

 

第4話「逃航-ふなで-」

 シリーズ構成時のプロットに対して脚本がうまく1本分の話を作ることができず、出来上がったものは尺に対して内容が少ないという印象を受けた。

 戦闘シーンにおいてはCDCとジークフリード・システムが連携していないのは、明らかに脚本上のミス。EXODUSではそのあたりの描写がうまく出来ているので、物足りない。

 島がいよいよ移動するという時、西尾のばあちゃんが感慨深そうに海岸で「とうとうここを離れるかい、長かったねえ」と言っていたけど、『HEAVEN AND EARTH』でも島が動くシーンで西尾のばあちゃんが海を見ていたことを思い出した。

 あと、戦闘時の一騎と総士の意見が真っ向から対立して、結局、最後まで二人の関係がギスギスしていた。一騎は総士の考え方についていけなくなり、彼のことを知りたくて島の外に出たわけで、そう考えると4話で描かれた二人の関係はこの時点での設定と合っていないと思う。

 

第5話「約束-ちかい-」

 4話と同様、プロットの内容で脚本が埋められなかったので、内容が少ない。真矢、翔子、甲洋、一騎の咬み合わない恋愛模様をもっとじっくり描けばよかったのに。

 冒頭にある山頂での真矢と総士の会話についていけなかった。1話で総士と真矢は一騎についてこんな感じで話している。真矢の話し方に特別な感情は入っていない。

総士「一騎は?」
真矢「授業が終わった途端、近藤君と出てったわ」
一期1話

 しかし、5話では真矢が総士に突っかかる。

総士「一騎にここによく来たことがあるって聞いたから、
   僕も少し見たくなっただけさ」
真矢「そんなに一騎君の気持ちに入り込みたいの」
一期5話

 キャラクターの設定的にはこれが正しいんだけど、あまりにも唐突すぎる。

 新国連にマークゼクスを引き渡すことになったあとブルクでの会話も気になった。

容子「新国連は一体何のために。あっ、まさか」
史彦「その可能性は高いと思う」
容子「このことは遠見先生には」
史彦「まだ話していない。しかし、やっかいな奴が裏にいるかもしれんな」
一期5話

 新国連でアルヴィスのファフナーを欲しがっているのはミツヒロ。Bパートでミツヒロが出てくるんだから、ここで彼の名前を出せば、視聴者にはわかりやすいのに。ここで彼の名を伏せる必要はないと思う。

 翔子と甲洋がブルクに行って出撃前の一騎の会う場面は唐突すぎ。6話の展開を考えると翔子がブルクにいないといけないから作ったシチュエーションなんだろうけど、ここまでの積み上げがないので、なぜここでいきなり翔子が一騎に告白するので、置いてきぼりになった。

 マークエルフが海上でフェストゥムと戦っている時、竜宮島の真上に別のフェストゥムが出現。ここでは4話と同じ一騎の命令無視ではなく、フェストゥムに倒してからでないと帰れないという状況にすべき。戦闘シーンのシチュエーションを作るのが下手すぎる。

 

第6話「翔空-ぎせい-」

 6話で翔子が犠牲になるのであれば、1話から翔子についてもっと描写するべきだった。アニメ版での最大のミスは翔子がファフナーの訓練をしていないこと。ドラマCD「STAND BY ME」で補っていたけど。

 個人的に引っかかったのは以下の翔子のセリフ。

翔子「私たち、生まれた時から戦うことが決まってたんでしょ。
   自分の意志で戦いたいの。それくらい許されるでしょ」
一期6話

 自分の意志で戦うことを選んだ子どもたちの物語。ドラマCD『STAND BY ME』で総士が「パイロット候補者たちの意志は確認済みだし」と補足していたけど、アニメではこの設定が徹底されてなかった。その一方、子どもたちはファフナーのパイロットとして作られた存在でもある。18話でミツヒロは「彼らは結局、ファフナーを動かす電池にすぎん」と言い、ドラマCD『GONE/ARRIVE』で一騎は父親に「あいつらを倒すために俺を育てたんだろ、父さん」と言ってしまう。

 ちなみにドラマCD『STAND BY ME』で、総士は一騎に大人たちの立場についてこう説明している。

総士「大人たちにとってこの状況は僕らが生まれる前からの了解事項だ。
   今更、彼らの意思を問うことはない」
ドラマCD『STAND BY ME』

 そして先ほどの続きの翔子のセリフにも問題がある

翔子「あなたの、子供じゃないんだから」
一期6話

 この台詞の伏線があるとすれば一期5話の親子の会話か。

翔子「私でもファフナーに乗れるかな、一騎君みたいに」
容子「いつか元気になればね」
翔子「私の体が元気になる日って来るの」
容子「来るに決まってるわよ。
   元気なお母さんの娘じゃない」
一期5話

 こういう会話になったのは母が実の親子のように言ったからか。でも、動機としては弱く、ここで突然クローズアップされるような問題ではない。親子で血がつながっていないことで家庭に問題があるのは甲洋。

 

 結局、翔子は与えられたプロットに対してそこに至るまでの過程をうまく作ることができず、結果的に脚本の都合に振り回された、という印象。また、マークゼクスのフェンリル起動から爆発までの場面は長すぎて、緊張感が持たなかった。リアルタイムの時間でやるのは無理があった。初見時は何の感情も出てこなかった。物語的には最初の山を作ったはずなのに、キャラクターの積み上げ不足が一気に露呈した回だと思う。ここまで一人で脚本を書いているにもかかわらず、毎回性格の違うキャラもいて、正直、脚本家の力不足を感じた。