蒼穹のファフナー EXODUS 第26話-1「竜宮島」

 

  一騎「人じゃない。でも、心を感じる」
  総士「ためらうな、一騎」

  一騎「俺はお前を信じる。
     お前の心は今どこにいる、ミツヒロ」
ミツヒロ「俺が…アイを…殺した。
     頼む、マカベ。俺を消してくれ」
『EXODUS』26話

 総士はフェストゥムに作られた存在に対して容赦しなかったけれど、一騎は彼らにも心があることを感じて迷う。一騎はミツヒロの心を信じた結果、ミツヒロはコアの少年に消されたはずの記憶を取り戻した。その結果、ミツヒロとマークレゾンの存在は消されることなく残った。これもフェストゥムとの共存への鍵なのか。

 ミツヒロはワーグナーの楽劇「パルジファル」に登場するクンドリーになぞらえることができる。クンドリーはキリストの磔刑を嘲笑したために、何度も生まれ変わるという罰を与えられ、自らを救済してくれる人を探している。「パルジファル」の第2幕、魔法使いクリングゾルに操られて男を誘惑しながらも救いを求めるクンドリーの姿は、自意識のある時、近くにいる人に対して「俺を消してくれ」と訴えるミツヒロの姿と重なる。

 

ミツヒロ「アイ。皆殺しにしてやる」
『EXODUS』26話

 コアの少年はミツヒロに理由のない憎しみを与えたが、同時に愛する人(アイ)を与えた。しかし、皮肉なことに理由のない憎しみが理由のある憎しみに変わってしまった。

 

総士「上空へ行く。地上では島が沈む」
『EXODUS』26話

 『EXODUS』6話で総士の「下手をすれば僕たちが島を沈めかねない」を受けての言葉。やはり島で戦うにはザインとニヒトの力が大きすぎるということ。

 

織姫「芹、なにをしているの。島を出なさい」
 芹「織姫ちゃん、いつも一人で泣いてた。
   悲しくてもみんなを守って。
   あたしが織姫ちゃんを守るよ。
   ずっと一緒にいるよ」
『EXODUS』26話

 『EXODUS』19話で織姫と芹はこんな会話をしていた。

 芹「あたし、どんどん酷くなる」
織姫「あなたの場合、島を離れれば治るわ」
 芹「そんなことできないよ」
織姫「そうすべき時が来たら、迷わずそうしなさい」
『EXODUS』19話

 織姫はこの第三次蒼穹作戦でなくても、プランデルタを実行する可能性のある未来を見ていたので、芹には予め島を離れれば普通の生活ができると告げたということか。『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』に芹が竜宮島への思いを語る場面がある。

「この島全部が、乙姫ちゃんだから。ここにいる限り、あたし。いつだって乙姫ちゃんに会えるって、思ってます」
『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』(※1

 これを読むと芹は織姫のいない、竜宮島の外で生きるのは無理だと感じる上に、一期ラストでフェストゥムの側へ行った総士と別れた後の一騎の姿と重なる。一騎は総士の言葉があったから帰る日まで待ち続けることができたが、第四次蒼穹作戦で芹が海神島へ旅立つ時、織姫は総士とは会話したが、芹には何も言わなかった。戦いに出る時点では未来が不確実だということもあるけど、やはり織姫は芹に別れの言葉が言えなかったんだと思う。

織姫「やめてよ、やだよ、芹ちゃんは生きてよ。いなくならないでよ」
『EXODUS』26話

 織姫が芹に対する感情はこの台詞がすべてである。

 

要澄美「今、ゆきます、誠一郎さん」
『EXODUS』26話

 剣司と咲良の関係性は一期の道生と弓子を思い出すが、最終的な両者の関係は完全に逆になっている。

  道生と弓子   剣司と咲良
  道生=死亡   剣司=生存
  弓子=死亡   咲良=生存
  子どもあり   子どもなし
弓子の母、千鶴=生存 咲良の母、澄美=死亡

 

総士「コアの亡霊よ、感じるか。
   それが痛みだ。
   僕がお前たちに与える祝福だ」
『EXODUS』26話

 一期での総士の祝福「痛み」は一騎から与えられた痛みが自らの存在を与えたことから、一期26話でイドゥンに「いなくなることへの恐怖だ」と言っていたものの、「自らの存在証明」という部分がクローズアップされていた。『EXODUS』で総士は再び「痛み」でベイグラントのコアの少年を祝福した。それは総士はかつてフェストゥムに存在を与えた同じ痛みでありながら、今回は存在が消える恐怖の方であった。

 

総士「これがたどり着いた未来。
   怖いかニヒト、僕もだ。
   存在が消える恐怖。
   痛みの根源か」
『EXODUS』26話

 総士は『EXODUS』3話でニヒトについて「必ず葬ります。僕の存在をかけて」と言っていたが、最終的にニヒトとともにいなくなることを選んだ。そこでもキーワードは自らがフェストゥムを祝福した痛み。

 一期で総士がいなくなる時に一緒にいた一騎とは別れ、『EXODUS』ではいなくなる時に一緒にいたニヒトと一緒にいなくなった。この状況も一期から反転している。

 

総士「ぼくは今度こそ地平線を超えるだろう。
   無と存在の調和を未来へ託して」
『EXODUS』26話

 総士自身の体はフェストゥムなので、もはや人の生と死の世界に戻ることはできない。『EXODUS』14話でエメリーが総士にこう言っていた。

エメリー「あなたは永遠の存在だとミールは言っています。
     彼らに痛みを与え続けるため、この世に居続けると」
『EXODUS』19話

 総士は祝福をしたことで、エメリーが言っていた永遠の存在になることからは開放され、かわりに生と死を循環を循環する存在となった。

 

一騎「総士、俺も」
『EXODUS』26話

 一騎は島のミールとの調和で「生きる」ことを選んだので、存在と無の地平線を超えることはできない。 ずっといなくなりたがっていた一騎が生を選ぶために、総士は一期ラストで一騎に帰ることを約束し、『HEAVEN AND EARTH』で存在を取り戻して帰ってきたのだと思う。『EXODUS』24話で一騎が島のミールとの調和で生きることを選んだ時、総士はその役割を終えた。それは『EXODUS』25話で総士がニヒトに乗った時、総士は自身の生存限界に達したことからも明らかだ。

 

総士「そして互いの祝福の彼方で会おう、何度でも」
『EXODUS』26話

 一騎の「生と死の循環を超える命」を与えられたが、それはイコール永遠ではないと考えている。一騎は『EXODUS』24話でカノンの姿を借りた島のコアとこう話している。

 一騎「俺も島と一つになるのか」
カノン「それは最後の祝福だ、真壁一騎」
『EXODUS』24話

 島のコアから一騎の記憶は最終的には島に帰ることが示唆されている上に、ベイグラントのコアの少年は一騎と島のミールの調和を消そうとした。つまり、島のミールの調和が消えた時、一騎は人としての死ぬではないだろうか。

 

史彦「全島民に告ぐ。
   これは滅びではない。
   新たな希望である。
   我々は必ずや、故郷へ帰る」
『EXODUS』26話

 『蒼穹のファフナー Blue-ray BOX』に収録されているインタビューを思い出した。

──最後に、冲方さんは福島県で、東日本大震災に遭われてますよね? そのことは今後、『蒼穹のファフナー』という作品に影響を与えますか?
冲方:与えるでしょうね。どういう風に与えるかわからないですけれど、どうしたって与えますね。福島なんて3.11から1日も経っていないっていうくらい、何にも解決していませんから。あそこでは未だに震災が続いているんです。

 竜宮島から一時的な退去を余儀なくされたものの、いずれ帰るという考えは東日本大震災での経験が影響が色濃く反映されていると思う。さらに今年はシリア難民も問題になった。結果として『EXODUS』は現在、世界で抱えている問題をそのまま反映する形で物語を終えたということになる。古典ではなく現在進行形のフィクションの強みは、時代性を物語に反映させられるということ。

 個人的に竜宮島から脱出する一連の流れ場面を見ていて思い出したのは、EXODUS=旧約聖書の出エジプト記ではなく、132年から135年の第二次ユダヤ戦争を契機に始まるユダヤ人のディアスポラ。もっともwikiによると「難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある」(※2)ということだけど、ユダヤ人は1948年にイスラエルを建国している。

 

ビリー「真矢、兄さんは正しい人だった。
    アイもミツヒロも。
    なのに、なにが正しいかわからない」
『EXODUS』26話

 兄を殺された憎しみに囚われてしまったビリー。自分なりの価値観、信念を見出すことができず、出てきた言葉は「なにが正しいかわからない」。この世界は自分なりの考えに基づく価値観がないと生きていくのが難しい。そして、この作品はやはり信念のない人には厳しい。

 

こそうし「ねえ、あの向こうにはなにがあるの」
  一騎「世界とお前の故郷が」
こそうし「世界…故郷」
『EXODUS』22話

 このシーンを見て思い出したのは、萩尾望都『スター・レッド』のラスト。

 総士は『EXODUS』で島とのしがらみをすべて外され、自分で未来を選ぶことのできる存在になったけれど、『EXODUS』22話、キール・ブロックでの総士と織姫のこの会話を思い出した。

織姫「普通の家族みたいに…暮らしたかったね」
総士「それがかなう未来を願おう。
   僕らがいた証として」
『EXODUS』22話

 転生した総士は自分という存在を消して島のために生きることから完全に開放された。それは織姫の言う「普通の家族みたいに暮らすこと」ができるようになったのだと思う。いつかニヒトに乗らなければいけない運命の日が来るのかもしれないけれども。

 

・一騎は世界を祝福したのか?

 「お前が世界を祝福するなら」という条件付きで、竜宮島のミールは一騎に祝福した。いわば祝福の前借り。26話で一騎の祝福が明確に描かれていないので、私は一騎はまだ祝福していないと考えている。島のミールがアルタイルと対話する時に必要な力として残したのかもしれない。

 一騎は島のミールとの調和で生と死の循環を超える命を与えられたけど、ここから読み取れるのは、いなくなりたいと思っていきてきた一騎はまだ生を全うしていないということ。総士を見るとわかるように、祝福はやるべきことをすべてやって、生き抜いた先にあるもの。一騎が世界を祝福するのは、やるべきことをすべてやった後だろう。総士は一騎にこう言っていなくなった。

総士「そして互いの祝福の彼方で会おう、何度でも」
『EXODUS』22話

 

・芹と一騎

 芹のSDPはリバース、同化の力を使って機体と自分を再生させる能力を持つ。(DVD/BD7巻の解説より引用) 一騎は島のミールとの調和で生と死の循環を超える命を得た。

 アニメでは全く会話のない二人ですが、『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』では早朝の山で鉢合わせする二人の姿が描かれている。二人が出会う場面を引用。

 つい、口走った。
「──総士?」
「乙姫ちゃん?」
絶妙に、自分と相手の声が重なった。
『Preface of 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』(※3

 一騎と芹は同類ですね。

 竜宮島のミールは乙姫の祝福により命の循環を学び、島のコアである織姫と転生した総士がそれを体現した存在となった。ならば、人もフェストゥムを理解するためにはフェストゥムの持つ永遠を体現して生きる人が求められ、それを受け入れたのが芹と一騎ということになる。結果的に人とフェストゥムが命の長さを入れ替える形となった。

 

・真矢と溝口さん

 真矢と父、ミツヒロは一期17話で再会。しかし、真矢は娘をファフナーのパイロットとしてしか見ない父を拒否。ドラマCD『GONE/ARRIVE』で真矢は父についてこう語っている。

真矢「前はちっとも変だと思わなかったのに。
   あたし、こんなふうにしがみついているしかないなんて。
   こうして山を登っていると、お父さんの背中にいるみたいだって思えたのに。
   必死に体を支えてないと、落ちちゃうような場所で、あたし。
   そっか、もうお父さんいないんだ」
一騎「遠見、つかまれ」
真矢「一騎くん、無理だよ、そんな体で」
一騎「大丈夫。遠見」
真矢「ごめん、最後くらい一人で登りたかったの」
一騎「最後…」
真矢「さよなら、お父さん」
ドラマCD『GONE/ARRIVE』

 『EXODUS』22話で新国連に捕らわれ捕虜となった真矢はそこで父の仕事を突きつけられる。そして、真矢が自分と同類であることを見ぬいたヘスターは、真矢が自分と同じように父の跡を継ぐことを望んだ。しかし、真矢は自分が父とヘスターと同じであることを認めながらも、ヘスターのやり方を拒否した。

 2015年12月26日配信の「『蒼穹のファフナー EXODUS』最終!緊急クロッシング特番」中で喜安浩平さんが溝口さんがビリーを撃つシーンは『EXODUS』1話長尺版にある真矢が溝口さんに「おとーさん」と言う場面と繋がっていると指摘していた。が、注目すべきは溝口のその返事である。

真矢「ウィルコ、おとーさん」
溝口「その呼び方は勘弁して」
『EXODUS』1話

 この時、溝口は真矢の父になることを拒否していた。しかし、溝口もシュリーナガルから島に戻る長い旅の中で変わっていった。『EXODUS』23話、新国連ダーウィン基地の捕虜交換交渉に来たのが溝口だった。そこで溝口はヘスターにこう言っている。

溝口「もう一つ、そちらの爆撃機を撃てと命じたのは俺だ。
   処刑したけりゃ、好きにしな」
『EXODUS』23話

 この時の溝口はあくまで部下を守る上官という立場を演じた。

 しかし、『EXODUS』26話、コックピットから出たビリーが真矢に銃を向けた時、溝口は迷わずビリーを撃つ。

 ここでの溝口の行動はどんな状況でも娘を守る父親の姿そのものだった。『EXODUS』1話では真矢から父として見られるのを拒んだ溝口も、シュリーナガルから竜宮島へ至る長い旅で、真矢と一緒に過ごした結果、親になることを受け入れた。

 

・フェストゥムが学んだもの

 総士はベイグラントのコアを破壊する時、痛みで祝福をした。その後、自らの生存限界を迎え、存在と無の地平線を超えていった。フェストゥムを祝福をしたということは、フェストゥムからも祝福をされるということで、織姫や『EXODUS』の操と同様にその魂は転生した。存在と無の地平線で総士との別れに立ち会った一騎、甲洋、操はこちらの世界に戻ってくると、ニヒトのコックピットを開け、そこに赤子を見つけた。

 これまでミールのコアである織姫と『EXODUS』の操は岩戸の中で育ち、時が来ると成長した状態で岩戸から出てきた。しかし、ニヒトのコックピットの中にいたのは人間と同じく生まれたばかりの赤子だった。つまりフェストゥムは美羽と弓子を通して、命は一人で育ち、時が来た時にできあがっているものではなく、親が育てるものだということを学んだのだと思う。そして、ここで重要なのはニヒトのコックピットを開ける=子どもの誕生に立ち会ったのが、一騎、甲洋、操の男性三人で、全員フェストゥムに近い存在であるということ。しかし、フェストゥムが理解したのは単為生殖の段階なので、生みの親(総士)、子ども(そうし)、誕生に立ち会う親(一騎、甲洋、操)がすべて男性のみと徹底されていた。そういえば『EXODUS』1話長尺版で剣司と咲良が喫茶楽園に入ってきたとき、「いらっしゃいませ」と声をかけたのが、一騎、暉、零央、総士の男性四人。この場面も男性のみで、フェストゥムが「食」を学んだということを暗に示しているのだと思う。

 現時点で公式からはっきりと第四次蒼穹作戦の日付が明らかにされていないけれど、『EXODUS』24話で描かれた海神島での戦闘は2151年11月17日。その後、ダーウィン基地から真矢が帰ってきて、成人式から3日後に第四次蒼穹作戦を実施という流れなので、第四次蒼穹作戦は11月下旬だと思われる。つまり総士は20歳になることができなかった=親になることができなかったということ。『EXODUS』21話で20歳の誕生日は描かれた一騎(9月21日)と真矢(11月11日)の二人は『EXODUS』26話のエンディングで子どもと一緒にいる姿が描かれている。

 

 真矢は美羽に抱きつかれ、一騎は子どもの手を引いている。しかし、総士は自分の子どもに会うことができないので、ニヒトに自分の子どもへのメッセージを残した。その子どもがニヒトと出会った時、決して会うことのできない生みの親の存在とも出会う。

 

 見終わった後、ふと頭に浮かんだのはこの言葉である。

もしわれわれが(通常の立場とは)逆の立場に立つことが可能であるとすれば、(肯定と否定の)記号が交換されて、われわれが存在すると考えていたものがじつは無であり、かの無こそはじつは存在するものだということが示されてくるであろう。
ショーペンハウアー「意思と表象としての世界」第七十一節(※4

 

※1 『Newtype Library 冲方丁』(角川書店、2010年)から引用。

※2 wikipediaのディアスポラの項から引用。

※3 『Newtype Library 冲方丁』(角川書店、2010年)から引用。

※4 ショーペンハウアー「意思と表象としての世界III」(中公クラシックス、電子書籍版)より引用。

 

以下、個人的な感想。
2クール目は自分一人で作品と向き合いたいと思ったので、基本的にネットで他人の感想を読まず、各話を書き終わった後にニコ生、ニコ動のコメントを読むだけ。一人で向き合うには作品があまりにも重すぎました。