「蒼穹のファフナー」シリーズ完結に寄せて

『蒼穹のファフナー EXODUS』第26話の感想ではありません。

 

 『EXODUS』の制作発表から4年半我慢していた感想をやっと書ける。

 一期放映終了後、「蒼穹のファフナー-仕組まれた悲劇-」と題した作品論を書いた。内容はファフナーでのキャラクターの配置をワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』と比較して論じたもの。一期放送終了から6年後の2010年12月に『HEAVEN AND EARTH』が公開。それから7ヶ月後の2011年7月に『EXODUS』の制作が発表された。この時、一期が「ワルキューレ」、『HEAVEN AND EARTH』が「ジークフリート」に相当することに気がついた。ということは『EXODUS』は「神々の黄昏」に相当し、一騎と総士の物語は完全に終わるということを意味していた。

 結果、『EXODUS』は「神々の黄昏」だった。『EXODUS』2話を見た後、一騎の役割はジークフリートではなくパルジファル(『ニーベルングの指環』の次の作品でワーグナーの最後のオペラ)だと予想したのですが、最終的にその通りになってしまった。それは2000年、バイロイト音楽祭で上演されたユルゲン・フリム演出によるミレニアム・リングのコンセプトそのものだった。この舞台については指揮者の三澤洋史の公式サイト Café MDR 内にある『滅亡を導くジークフリートとブリュンヒルデ』の「ジークフリートは殺されねばならなかった~パルジファルへ?」の章を参照。

 一期から『EXODUS』まで包括した作品論をいずれ書く予定です。