当初の予定では12月後半に公開する予定だったのですが、ニコ生での一挙放送と総士生誕祭の時に公開された内容について書きたいことが多かったため、公開を先送りしていました。
ダスティンとビリーの関係は真矢だけでなく、和解する前の総士と一騎、そして、弓子と美羽の関係を彷彿とさせる部分をも含まれていた。
・総士と一騎
ダスティンの「お前(ビリー)は何も考えずに、俺の言うことに従っていればいい」という考えは一期10話までの総士と重なる。左目に傷があるためファフナーに乗れない総士には自分の手足となって戦ってくれる人が必要だった。そのため、総士の左目を傷つけた一騎が総士の代わりになって戦おうとするが、総士の言葉は冷たく、一騎には理解しがたいものだった。
総士「いいか一騎、絶対に手を出すな。
これは救出作戦ではない」
一期4話
総士「これは甲洋の、自分で招いた結果だ。
お陰でファフナーを失った。
感傷に浸る暇はない」
一期9話
総士「戦いに疑問を抱けば次の犠牲者はお前だぞ。
羽佐間と甲洋のことは忘れろ」
一期10話
しかし、一騎は総士の命令に納得できない時は反抗した。一期4話の新国連の戦闘機を囮にするという作戦に対して、一騎は命令を無視して新国連の戦闘機を助けようとした。また、アルヴィスとよく似た島を探索した時には、甲洋の無事を確認せずに島を離脱するという総士の命令に背こうとした。さすがにその時はどうしても一騎を失いたくない総士が一騎にお願いするという有様だった。
一騎「甲洋を置いて自分だけ逃げられるか」
総士「一騎、もうファフナーを失うわけにはいかないんだ。
わかってくれ。
頼む」
一期9話
一騎は翔子だけでなく、甲洋の戦闘に対しても厳しい評価を下す総士を理解できなくなった。それ故、一騎は総士に問いただす。
一騎「ファフナーと俺たち、お前にとってどっちが大切なんだ」
一期10話
しかし、総士から一騎が望んでいた答えは帰ってこなかった。そして、総士が見たという島の外の世界に行くことを選び、一騎は一旦、総士の元を離れた。総士の厳しい言葉は一騎を守るためのものだったが、言葉は足りず、総士の本心は一騎には伝わらなった。
一方、ハワイ防衛戦の後、ビリーはダスティンとは別の部隊に所属していたが、ダッカ近郊でフェストゥムの交戦中、ダスティンと再会した。
ダスティン「来るんだ、ビリー」
ビリー「兄さん、なんで」
『EXODUS』15話
この時、ファフナー越しであるが、ダスティンはビリーの手を取った。
左:ダスティン、右:ビリー
ビリーがダスティンと会ったのはほぼ1年ぶりだと思われるが(※1)、ビリーが自分なりの考えを持っていたら、即座に兄の手を振り払っただろう。しかし、ビリーはダスティンの手を振り払わなかった。この時、ダスティンがビリーを連れて帰れなかったのは、ミツヒロがダスティンの機体を敵だと認識して攻撃したからにすぎない。自分の考えを持っていないビリーはこの後、ハバロフスクでの戦闘時に再びダスティンと再会するが、そのときは邪魔が入らなかったので、ビリーはダスティンの指示に従い、人類軍のダーウィン基地に帰投した。
ビリーは一騎のような強い信念も、それを貫き通すような芯の強さも持っていなかった。それならば、ビリーは兄から離れ人類軍の主流派とは違う考えを持つナレイン将軍の指揮下にいた時に自分の考えを持つことができていたら、真矢に兄を殺された後は自分の考えで行動し、戦闘終了後、海神島で真矢の目の前に立ったたとしても、自分の意思を明確に示すことができたはずだ。
・弓子と美羽
ダスティンは所属している組織のルールを破ってでも家族を守りたいと考える人だったが、その姿勢は弓子と重なる。ダスティンはビリーの所属するペルセウス中隊を含むシュリーナガルからの避難民に対して交戦規定アルファが発令されたにもかかわらず、ビリーだけ救出しようとした。一方、弓子は真矢をファフナーに乗せないためにパイロット適正データを改竄し(※2)、美羽とボレアリオス・ミールと対話させようと考えた真壁司令を銃で撃った(※3)。また、弓子とダスティンは守りたい人に対する考え方も共通していた。
ビリー「誰も殺さないで兄さん、お願い」
ダスティン「黙れ、ビリー。
余計な真似をすれば仲間に撃たれるぞ」
『EXODUS』23話
弓子「今は美羽が理解できるもの。
わかってあげられないことの方が、ずっとつらかったわ」
『EXODUS』19話
ダスティンは守りたい人の言葉を切り捨て、弓子は守りたい人の言葉を理解できなかったという違いはあれど、ダスティンと弓子はともに守りたい人の言葉に耳を傾けなかった。そして、二人とも守りたい人の考えを理解することなくいなくなった。しかし、弓子が死亡した後、美羽はアショーカに弓子の命を願い、アショーカがその願いをかなえたため、弓子には美羽を理解するための時間が与えられた。つまり弓子は死者でありながら、しばし生者の世界に留まったということになる。また、弓子はアショーカから命を与えられたということは、人よりもフェストゥムに近い存在となったとも言えるだろう。弓子がフェストゥムの力で命を得た結果、人として生まれながら島のミールと日常的にクロッシング状態にあり(※4)、フェストゥムとお話をすることのできる娘、美羽の考えを理解できるようになったと見ることもできる。
弓子「やっとわかってあげられた。
あなたの力の素晴らしさを
自分を信じなさい
どんな時も」
『EXODUS』26話
弓子は生きている時にはかなわなかった望みー美羽の考えを理解し、受け入れるーをかなえた後、アショーカによって与えられた命が尽き、本当にいなくなった。
最終的に美羽の考えを受け入れて肯定した弓子の姿を見ていると、ダスティンがビリーの言葉を切り捨てるのではなく、受け止めた上で自分の考えを言うという形であれば、ダスティン亡き後のビリーの行動は変わったのかもしれない。実際、ビリーは自分が生きている世界の厳しい現実から目を逸らすことなく、その理も受け入れていた。
広登「なにもしないのか。
亡くなった人の遺品を集めるとか」
ビリー「そんなことしてたら、次の群れが来る。
敵をキャンプまで連れてくことになるよ」
『EXODUS』12話
しかし、人類軍に所属する以上、ビリーが直面する厳しい現実の中で受け入れていたのはフェストゥムと戦う部分だけであり、人間同士が戦うことについては受け入れていなかった。ビリーが所属しているペルセウス中隊は人類軍とは敵対する竜宮島側との共闘を選んだだめ、ビリーがペルセウス中隊から離れてダスティンの指揮下に入った瞬間、人間同士が対立する現場に放り込まれてしまった。
ビリー「止めさせて、兄さん。お願いだよ」
ダスティン「爆撃機を落とした娘だ。
今撃ち殺さないだけ幸運なのだぞ」
ビリー「そんな……」
『EXODUS』22話
ビリーがダスティンに本音をぶつける姿はダスティンに甘えているようにも見える。それならばダスティンはビリーの言葉を封じるのではなく諭すべきだったのかもしれない。そして、ビリーはダスティンと話し合うことでこの不条理だらけの世界で生きていくための価値観を確立することができていたら、、真矢にダスティンを殺された後は自分の考えで行動し、戦闘終了後、海神島で真矢の目の前に立ったたとしても、自分の意思を明確に示すことができたはずだ。
ダスティンは弓子とは異なり、守りたい人(ビリー)を理解するための時間を与えられなかったが、それは人類軍側の物語は非現実なことが起きないリアリズムに徹した現代劇として描かれていることを意味していた。一方、ミールとの共存を選んだ竜宮島ではミールの力により人智を越えた出来事がしばしば起きるが、竜宮島の住民は戸惑いながらもそれを受け入れていた。竜宮島側の物語は人類軍側の物語とは異なり、現代劇と非現実な出来事が融合しているマジックリアリズム(※5)として描かれていたということになる。そのため『EXODUS』にはリアリズムな現代劇(新国連及び人類軍)とマジックリアリズム(竜宮島とアショーカ)というベクトルを異にする小説のジャンルを内包することになった。そして、その二者が『EXODUS』の劇中で出会った時、激しくぶつかり合った。二者の関係は物語開始時からは多少変化したものの、どちらかが優勢になることも、融合するもことなく、均衡を保ったまま物語は終わった。
ダスティンとビリーは竜宮島側の一人(真矢)と二組(総士と一騎、弓子と美羽)の関係を内含するキャラクターだったが、竜宮島側のキャラクターとは正反対の末路を迎えた。ビリーは兄に反旗を翻すことなく最後まで従い、ダスティンは弟の言葉に耳を傾けなかった。このことから新国連は自分の考えを持たず、上官の命令に疑問を抱くことなく従う兵士を求めていることがわかる。かつて真矢はミツヒロに「お父さんはフェストゥムとどう違うの」(※6)と言ったが、長年に渡り人類はフェストゥムと戦い続けた結果、新国連は兵士に敵であるフェストゥムと同じ価値観を求めるようになってしまったのは皮肉なことである。
※1 『EXODUS』14話のダスティンとカマル司令の会話を参照。
カマル「君の弟もいるのだぞ」
ダスティン「弟? 何のことだ」
カマル「知らされていないのか。
ビリー・モーガン少尉、ペルセウス中隊のパイロットだ」
ダスティン「バカな。あいつは俺が後方勤務にまわしたはず」
カマル「ナレインの人選だ。確かめろ」
※4 『HEAVEN AND EARTH』の史彦の台詞「美羽くんもまた日常的にクロッシング状態にある。それも島のミールそのものと」
※5 代表作はガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(新潮社)。
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