僕の名は皆城総士。君がこれを聞くとき、もう僕はこの世にいないだろう。
『EXODUS』1話
先日、『SFマガジン』2010年12月号を入手した時(※1)、冲方丁の短編『Preface Of マルドゥック・アノニマス』を再読したが、この短編は『EXODUS』の総士のモノローグと同じく、死を目前にしたウフコックが自分の人生を振り返るという内容だった。『マルドゥック・シリーズ』と『蒼穹のファフナー』はともに2000年代に第1作を発表し、2010年代にシリーズの最終作(※2)を発表することになったが、2作品とも最終作の冒頭でオチを明かしていることが気になった。
『Preface Of マルドゥック・アノニマス』を再読した後、図書館に行き、文学の棚を見ていたところ、大森望編『SFの書き方「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録』(2017年、早川書房)という本が目に止まった。この本には大森望と冲方丁との対談が収録されているが、この中で『マルドゥック・アノニマス』と『EXODUS』でなぜ物語の冒頭でオチを明かしたのかという疑問に対する答えが示されていた。
冲方:昨今の風潮ですけど、読者も視聴者も「何の話かわからないのが嫌」なんですよ。下手すると、ウィキペディアであらすじを見て、結論を知ったうえでないと見たくないみたいな人もいますからね。『ズートピア』ってラストどうなんの。知ってから子供を連れていくかどうか決める、みたいな。
大森:安心感がほしいんですね。
冲方:昨今その流れをうけてか、冒頭でエピローグを描くのが流行っています。この人は最終的にこうなる、と安心して読める。ガス室の中にネズミがいる。これはどういうことだろう、とか。
昨今のSNSでのネタバレ論争を思い出しますが、『マルドゥック・アノニマス』も『EXODUS』もラストを明かされた時に受け取ったのは、安心感ではなく大きな衝撃でした。特に『EXODUS』では物語のラストに訪れる総士の死を最後まで受け入れることができず、その後1年に渡り、精神的に追い詰められて、疲弊しました。
※1 SFマガジン2010年12月号「冲方丁特集」を参照。
※2 『アニメージュ』2015年3月号のインタビューで冲方丁が「今回のシリーズは『一騎と総士にちゃんとトドメを刺そう』ということですから(笑)」と言っていることから、最終回を見るまで『EXODUS』がシリーズ最終作になると思っていました。