ニコ生「蒼穹のファフナー」第25、26話感想

2015年9月28日22:00~ ニコニコ生放送

 

 配信はDVD版だった。TV放映版を何度も見たので、DVD版には違和感を感じる。

 一期25話でデビルレイで北極へ旅立つシーンは『EXODUS』 5話ラスト、シュリーナガルへ旅立つ場面にオマージュされていることに気がついた。

 一騎が総士に与えた傷が総士に個としての存在を与えたので、イドゥンが総士の左目の傷を同化した時点で総士は人としての存在を失っていたのかもしれない。「HEAVEN AND EARTH」で総士が体を取り戻して戻ってきた時、総士の左目の視力は回復したが傷はそのまま残っていた。

 真壁司令は「ならば、いずれコアとして成長し、きっと我々と会話をするようになるだろう」と言っているけれど、これが映像として見られるとは思わなかった。『EXODUS』を見た後だと感慨深いシーン。

 

 11年前に見た時の感情をいろいろ思い出してしまったので、当時のことを少し書くことにする。

 ザインの中で総士は砕け散ったけど、一騎が総士という存在だったものを島へなに一つ持って帰れなかったというのは残酷だと思った。

 「いつか必ず帰る」という総士の約束について。私は「数十年後、総士が体を取り戻して島に帰ってきた時、一騎はすでに死亡していない」と考えた。EDの「この先になにがあるの? 二人は平行線 振り向かない君は強い もう交わらない」という歌詞に引きずられたのは事実だけど、紅音さんでさえフェストゥムに影響を与えるのに10年近くかかったわけで、総士がそんなに短期間に体を取り戻し帰ってくるとは思えなかった。

 失敗した続編を山のように見ていたので、後日談は望まなかった。この後は視聴者の想像にお任せしますという余韻が好きだった。

 1年後に前日譚『RIGHT OF LEFT』を放映したけど、『HEAVEN AND EARTH』に相当する後日談でなくてよかったと思った。しかし、『RIGHT OF LEFT』でファフナーは終わったと自分の中で完結してしまった。

 2009年12月に『HEAVEN AND EARTH』の制作が発表されたけど、自分の中で気持ちの整理をした作品だったので客観的に受け止め、「制作側が望むのなら作ってもいいんじゃない、過度に期待しない」という感じだった。