「蒼穹のファフナー 仕組まれた悲劇」より

 2005年5月に刊行した同人誌『蒼穹のファフナー 仕組まれた悲劇』から、一騎、総士、真矢について書いた部分を転載します。一期放送終了後の時点でこの三人のキャラクターをどう見ていたのかがわかります。それぞれのブロックは原文で繋がっていないため、便宜上、サブタイトルをPart1~Part4としました。

 

・Part 1

 『蒼穹のファフナー』で総士に与えられた役割は父の意思を継ぎ、最終的には父が望んでいた北極のミールとの対決、つまり新国連の作戦-ヘブンズドア-に参加することでした。(第22話で総士はその決意を語るも、自らはフェストゥムに囚われてしまったが)その一方で、人間とフェストゥムの共存を目指したアーカディアン・プロジェクトを、乙姫とも体現したキャラクターでもあったと思います。総士は第1話開始の時点で、自分に与えられていた運命をすべて受け入れていたと思います。それは第15話「記憶-さけび-」にあるこの会話を見るとよくわかります。

溝口:さあて、帰るか。お前のふるさとに。
一騎:帰るのとは、少し違います。
溝口:ん?
一騎:何も知らなかった時のようには、あの島のこと考えられなくて。
   たぶん、帰るって言うより、
   俺がこれから行かないといけない場所なんです、竜宮島は。
溝口:似たようなこと、言っていた奴がいたよ。
一騎:え?
溝口:もう前とは同じように考えられない、
   自分が島を守らなけりゃ、てな。
一騎:それって、もしかして……。
一騎:総士。

 この会話を見ると、総士は第1話開始前に竜宮島の外の世界を見て、自分の役割をはっきりと自覚していたことがわかります。

 

・Part 2

 5年前、一騎が総士の左目を傷つけるという事件が起きました。総士は「一人で遊んでて、転んだ」(第15話「記憶-さけび-」より)ということにして、一騎が傷つけたとは一言も言いませんでした。一方、一騎は記憶の一部を失い、自分が総士の左目を傷つけたという事実だけ覚えていました。第15話「記憶-さけび-」の一騎の夢の場面で、なぜ一騎が総士の左目の傷つけたのかという部分の真実が明らかにされます。

総士:同化現象って言うんだって。
   僕達の体の中に記された遠い場所への帰り道なんだって。
一騎:帰り道?
総士:ミールの因子が僕らの遺伝子に移植されてるんだって父さんが言ってた。
   僕はこの島のコアを守るために生きているんだって父さんに言われた。
   自分や他の誰かのために生きてちゃいけないんだって。
一騎:総士……。
総士:僕は初めからどこにもいないんだ。
   だったら、お前と一つになれる場所に帰りたい、一騎。

 総士は子供の頃から父から島のコアのために生きることを強要されて、自己の存在を否定されていたという点で、精神的にフェストゥムに近かったと思います。それゆえ、自己を確立し始める年齢になったときに、自分というものを確立することができなかったのではないでしょうか。そして、遺伝子レベルで融合したミールの本能に従い、幼なじみであり、非常に仲の良かった一騎を同化したいという欲求が生まれてしまったと考えられます。しかし、一騎は同化の意味も分からず、おそらく恐怖心から総士を攻撃してしまいました。その結果、総士の左目を傷つけてしまいました。

 第23話「劫掠-おとり-」でジークフリード・システムがフェストゥムの根に覆われた時、フェステゥムと総士の会話するシーンがあります。この場面で子供の頃の総士の心理をフェストゥムが語っていると思われます。この時のフェストゥムは総士の子供の姿をして現れます。

フェストゥム:お前は真壁一騎に対して、
       フェストゥムと同じことをしようとした。
       それは人類に対する裏切りだ。
       その傷は罰だ。
       お前の汚らわしい行為に対する当然の報いだ。
    総士:違う!
       この傷が僕を僕にした。
フェストゥム:自分が自分でいることをやめられたら、どんなに楽だろう。
    総士:そんな考えはもう持っていない。
フェストゥム:本当はフェストゥムのこと、羨ましいと思っているくせに!
    総士:フェストゥムも色々やるようになったな。
       僕の心を読んで、僕を誘っているのか。

 一騎が同化を拒否し、総士を傷つけたことにより、総士は自己を確立することができました。しかしその一方で、総士は真実を語らず(同化について説明できない以上、真実を言うことはできなかったのかもしれない)、一騎は記憶の一部を失っていました。その結果、二人の立場は逆転し、総士を傷つけたことに罪悪感を感じていた一騎が自己否定的な、どちらかと言えばフェストゥム寄りの考え方になっていたように感じられます。

 

・Part 3

 総士の眼に傷が負ったというのは、ヴォータンが片目を失っていることに由来していると思われます。ただし、『ニーベルングの指環』の台本をみると「一つの目 eines Auge」とだけ書かれていて左目という指示はありません。しかし、上演時の写真や映像を見るとかならず、ヴォータンが失ったのは左目となっています。(原典の北欧神話でオーディンが失った目は右目、左目両方の説があります)それは『ラインの黄金』でのヴォータン自身の説明と『神々の黄昏』でエルダの娘のノルン(運命の女神)の説明が違っているからです。しかし、神話というものは答えが一つではないことが多く、この矛盾もそういった神話的なものを踏まえていると思われます。

 『神々の黄昏』の序幕で過去を管轄する第1のノルンは、ヴォータンが片目を失った理由を次のように語っています。

第1のノルン:神は、その片方の眼を
       永劫の叡智の代償に犠牲とした。(※1

 『ラインの黄金』第2場でヴォータンは妻のフリッカに向かって次のように言っています。

ヴォータン:お前を妻に得ようとして
      わしはそのため
      片目を惜しみはしなかった。(※2

 総士の左目に傷にもこの二つの意味が含まれていると思います。まず、ノルンが語っている「知恵を得るために片目を失った」という理由は、総士の場合、自分というものを得るために片目を失ったことを意味していると思います。それは第15話「記憶-さけび-」で乙姫は一騎にこう言っていることからもあきらかです。「あなたが総士を総士にした大事な傷。自分である証」と。次にヴォータンが話している「妻のフリッカを得るために片目を失った」という理由は、総士にとっては一騎を自分の近くに居続けさせるためだったと思います。第12話「不在-あせり-」で総士はそのことについて語っています。

史彦:ただ、あいつの場合、君という存在が近くにいることで、
   精神を安定させていたんだろう。
総士:安定したがっていたのは僕の方です。
   一騎もそれがわかっていたから……。

 総士は一騎が目を傷つけたことに対して、ずっと罪悪感を感じていることを知っていたと思いますが、総士はその感情を利用し続けます。それは第1話「楽園-はじまり-」で総士は一騎に次のように言ってファフナーへの搭乗を迫る部分で明らかです。

総士:もうこの島を守るには、ファフナーに頼るしか手段はない。
   行けるのなら、僕が行くさ……。
   でも、今できるのは、お前しかいないんだ!

 さらに第10話「分離-すれちがい-」では、翔子の死、甲洋の同化という友人を相次いで失う事件をきっかけにして、一騎は総士に言われるがままに戦うことに疑問を抱き始めます。その時総士は「僕に必要なのは、この左目の代わりになるものだけだ」と言って、一騎の罪悪感を煽って、自分の側にいさせようとします。

 それでは一騎自身、総士を傷つけたことについて、どう考えていたのでしょうか。参考として第15話「記憶-さけび-」で、一人で苦しんでいた時の一騎の本心を語っていると思われる言葉を紹介します。

一騎:なんで俺がやったって言わなかったんだ、総士。
   そのせいで俺はずっと、お前に謝ることさえできず、ずっと。
   その傷のせいで、お前はファフナーに乗れないんだろう。
   だったら、なんで俺を責めるないんだ。
   なんで俺がやったって言ってくれなかった。
   俺が逃げたからか。
   あの時、お前を置いて逃げたからか。
   怖かったんだ。
   お前を傷つけた自分が怖かったんだよ。
   だから逃げたんだ。
   お前は俺を怒っているんだろう、憎んでいるんだろう。
   だから、俺に戦って死ねって言いたいんだろう、総士!

 

・Part 4

 『蒼穹のファフナー』の人物関係を読み解いていった結果、本来、ヒロインであるはずの真矢の立場がないのに納得してしまった、というのが私の正直な感想です。物語の構造を見ると、ヒロインの位置は総士が占め、真矢の立つ位置はなかったことがよくわかります。それならば、物語の前半では設定にあった総士が真矢に淡い恋心を持っている設定をうまく描いていき、登場人物たちが状況が理解できるようになった物語の後半では、真矢がもう少し総士を気遣って、一騎と総士の間に入るように描かれていれば、こういうことにはならなかったのではないかと思います。

 神話、伝説や古典的な物語には自分に課せられた過酷な運命を直視し、それを受け入れ、与えられた運命に殉ずるというキャラクターが多くみられます。それは自分自身よりも国や家といった、より大きなものを大事にするが故にこういうキャラクターが成立します。ワーグナーの楽劇の題材となった中世の叙事時『トリスタンとイゾルデ』や『ニーベルンゲンの歌』には国と個人の感情の狭間で悩み、悲劇的な結末を迎えるキャラクターを見出すことは容易にできます。総士と乙姫はその系譜に連なるキャラクターとして描かれていたと思います。

 テレビ放送終了後に読んだプロデューサーのインタビューによると、企画当初はほとんどのキャラクターが亡くなる予定だったそうです。しかし、『蒼穹のファフナー』では生を描くということに重点が置かれ、物語で亡くなるキャラクターは当初の予定よりも大幅に減りましたが、その結果、古典劇や神話の持つ悲劇性は皆城一家がすべて背負ってしまったように感じられます。総士と乙姫は島の代表者であり、アーカディアン・プロジェクトの主導者であった両親の立場ゆえの犠牲者であり、その悲劇性を際立せるために、古い悲劇的な物語の力を使って表現したのだと思います。そして、二人はその性格付けとの相乗効果で、典拠となったキャラクターの持つ神話的な力を持ち続け、その悲劇性をうまく内包した人物として描かれていたと思います。しかし、やはり現代人がこういう役回りを演じると、その悲劇性は一層際立つと思いました。このあたりは作り手の狙い通りで、非常に効果的だったと思います。

 

※1 ワーグナー/高辻知義訳「ニーベルングの指環」(下)第2日『ジークフリート』第3日『神々の黄昏』(音楽之友社)より引用。

※2 ワーグナー/高辻知義訳「ニーベルングの指環」(上)序夜『ラインの黄金』第1日『ヴァルキューレ』(音楽之友社)より引用。

 

P.S. 最後にサークル参加したコミケがこの同人誌を頒布したコミックマーケット68(2005年夏)でした。